ジョージ・トレドは、ラモス瑠偉、ジョージ与那城らと共に読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ1969)の黄金期を支え、日本サッカーの発展に貢献をしたブラジル人だ。
トレドは1958年にサンパウロの貧しい家庭で9人兄弟の5人目として生まれ、幼い頃から家族を食べさせるためにプロ選手を志す。
1977年にアソシアソン・ポルトゲーザFCに入団後、ブラジルでプロ選手として活躍し、ラモス瑠偉に声を掛けられ1978年に読売サッカークラブとプロ契約を果たす。以後12年間、読売クラブで日本リーグ優勝5回、天皇杯優勝3回、JSLカップ優勝3回とタイトルを獲得し、天皇杯ではMVP選出されるなど輝かしい成績を残して、現役を引退。
引退後も日本に留まり、堀越高等学校サッカー部監督などを経て、2009年にトレドサッカークラブを開校。
現役時代から交流があるラモス瑠偉の他、都並敏史、弟であるエジソン、アマラオ(元FC東京)、マリーニョ(元日産、現:横浜F・マリノス)らの協力を得て、現在はあきる野市を中心に、東京都で子供達にブラジル式サッカーを指導し、U-15、U-17日本代表候補の選手を同クラブにて育成している。
「私が日本に来日した当時は、アマチュアで仕事をしながらプレーしている選手が大半で、チームにはフィジカルトレーナーさえいない時代でした。当時”ジャパンマネー”に目が眩み、ブラジルからたくさんの選手が来日しました。しかし、大多数のブラジル人は日本サッカーのレベル舐めていたので、ほとんどの選手が結果を残すことができずに帰国していきました」
帰国していくブラジル人達を尻目に、トレドは日本文化や言葉を学び、積極的にコミュニケーションを図った。
そんなトレドの姿勢は、当時のチームメイト達から信頼を得ることに成功し、Jリーグでプレーした後輩ブラジル人達からも兄貴分のように慕われた。
「来日当初はご飯に味がないことに驚きました。だからマヨネーズやレモンをごはんにふりかけて食べていましたが、今では大好物です。現役時代、よく松木安太郎に練習後に焼き鳥屋に連れていかれ、朝まで飲み明かしたせいか、焼き鳥と日本酒も大好きです。(笑) 私はブラジル人ですが、もう30年以上日本に住んでいるので、日本人が持つ勤勉さの大切さを学べました。この勤勉さ、という点に関してはブラジル人は真似できないと思いますし、日本サッカーが目指すべき方向性だと感じています」
トレドサッカークラブの生徒である小川裕次郎君(13歳)は、トレドの背中を見て、ブラジルサッカーに憧れを抱き、サンパウロに渡り同世代のブラジル人達としのぎを削った。
「トレド先生はとにかく優しくて、サッカーがうまいです。それにボールタッチのリズムが独特です。ブラジルで、自分の実力をしっかり見極めて自分での足でプロ選手を目指すための現実を受け止めたいです」
トレドが南米と日本の架け橋として長年かけて蒔いてきた種は、日本とブラジルの地で確実に開花しつつある。
トレドサッカークラブ公式HP
http://www.toledo-sc.com/
この内容の書き下ろしが「南米と日本をつなぐ者達」(ギャラクシーブックスより6月頃出版予定)に収録されます。
(文・写真 栗田シメイ Twitter:@Simei0829)