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【特集】ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。~契約満了から挫折、復活まで~情熱物語

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平識選手

伊勢崎商業高校を卒業してペルーに渡った平識善昭。首都リマのウニベルシタリオの下部組織からスタートしたペルーでのサッカー生活。リマの王者を決める大会の決勝戦で直接FKの決勝点あげるなどの成績を残した平識は、その活躍を評価されトップチームに呼ばれた。しかしその後チームからは契約満了が発表され、ペルーで挫折を味わった。今回は平識の契約満了から挫折、復活までの話を紹介する。インタビューアーはブラジル、コリンチャンスなどで指導者の経験を持つ平安山良太が務める。
~契約満了から挫折、復活まで~

平安山 :ウニベルシタリオでは契約満了という事になりました。平識さんのペルー挑戦記を今回取材したいと思ったのは、この挫折から這い上がったエピソードが面白いからです。

平識 :ウニベルシタリオと契約満了してから、本当に落ち込みました。正直、しんどかったです。心配して日本から連絡くれた家族や友達の事も無視していましたし、ボールも全然蹴る気になりませんでした。毎日暴飲暴食、不規則な生活になっていましたね・・だいたい1ヶ月くらい・・もう”俺の人生終わった”みたいな感じでした。その時はリマの日本人がよく集まるゲストハウスに住んでたんですけど、そこで出会った7人の旅人が僕の人生を変えてくれました。

平安山 :具体的には何をしてくれたのでしょう?

平識 :それまで僕は人には弱い一面を見せたり、相談するなんてことは絶対に無かったんですけど、初めて何でもさらけ出して話が出来ました。旅人の中にプロスキーヤーのケンさんという方がいたんですけど、ケンさんにキツく言われたんです。”お前弱いな”と。僕もちょっとムキになって言い合いみたいになっちゃったんですけどね(笑)
自暴自棄だった僕はケンさんに今後サッカーどうするのか聞かれて、今思えば認めたく無かっただけなんですけど、”いや、俺は今が楽しいんで。サッカーやってた時よりも楽しいくらいです”って答えて。そしたら”お前弱いな”ですよ。
僕も今まで苦労しても頑張ってきた自負があって、それなのに弱いなんてないんじゃないかと。ケンさんだってスキーヤー辞めてるんで、人のこと言えないんじゃないかと噛みついてました。
でも、違うんですよね。ケンさんはスキーヤー諦めてるからこそ、僕の本当の気持ちが分かってたんです。僕が本当はサッカーに対する情熱が残ってて、諦めきれないから自暴自棄になってるのも見透かされたんだと思います。ケンさんにちゃんと考えろって言われてから、本当に真剣に考えました。そしたら2日後にはペルー第二の都市、クスコに飛んでました(笑)

平安山 :とりあえず行動してみたのですね。凄い行動力です。そこから今のシエンシアーノ入団に繋がったわけですね。でも、最初にも言いましたが、シエンシアーノはペルーのBIGクラブ。いきなり来た東洋人がハイそうですかと入れる様なレベルのクラブではありません。

平識 :ケンさんとの一件があって、僕はもう本当に必死でした。このまま日本帰ったら笑われるって。日本のみんなに顔見せ出来ない。シエンシアーノの練習場には警備員がいて、監督にチャンスをくれと直談判しようにも、初日はダメでした。それから数日通ってみて、警備員の隙を突いてノーアポで監督に半ば無理矢理話してみました。なんとしてでもチャンスが欲しかった。当然監督の反応もあまり良くなくて、練習参加は認めてくれはしたんですけど、2時間ぐらいある練習の内の、最後のゲームのラスト10分

平安山 :監督の気分次第では無かったかも知れないチャンスですね。

平識 :でも、その10分のゲームだけで2得点しちゃったんです(笑)そしたら周りの僕に対する目がもう全然変わって、何処から来たのかとか、経歴とか、質問責めにあい、その勢いのままポンポンっと即契約になりました。ケンさんとの一晩で決心が変わり、2日で挑戦する街が変わり、10分で人生が変わりました(笑)無視してしまってた両親とも連絡して、母親はボロ泣きするし、いつも厳しかった父親から、”よく頑張ったな”と、産まれて初めて褒められました。

平安山 :確約のない挑戦から、契約を勝ち取ったのですね。同じく南米で闘う私も見習いたいと思います。新しいチームに来てからの心境の変化はありますか?

平識 :1度クビになってるので、逆境から這い上がった分、貪欲になったと思います。とにかくハングリー。伊勢崎商業時代なんかは綺麗なプレーが多かったですけど、もう今は何が何でもボール奪ったるって気持ちで、当たりも激しくいきます。

 

明日はペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。「~更に挑戦は続く~」を掲載致します。

第1話 ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。海外で挫折を乗り越え開花した秘訣とは?情熱物語

第2話 ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。~ペルーで経験した外国人いじめ~情熱物語

 

~平識 善昭プロフィール~
埼玉県出身 伊勢崎商業高校卒
藤岡キッカーズや伊勢崎商業高校でプレーした後、南米ペルーへ。日本でのプロ経験はない。ウニベルシタリオ→シエンシアーノと活躍し、ドリームマッチ群馬2015に出場予定。2016年からはブラジル挑戦を表明している。

~筆者・平安山良太プロフィール~
1990年5月21日生 沖縄出身 中京大卒
小学生よりサッカーを始めるが、ケガにより早期挫折。高校時代より指導者の道へ。日本で街クラブ、部活、名古屋グランパスで幼稚園~大学生まで幅広く指導者として関わり多くを学んだ後、海外へ。東南アジアのトライアジアプノンペンFC(現カンボジアンタイガーFC)やラオス代表で研修した後、ブラジル挑戦。
ブラジル一部リーグのアトレチコ・パラナエンセ→SCコリンチャンス→Avai FCの下部組織にてアシスタントコーチを歴任。ライター、代理人業も広く行っている。

お問い合わせは 公式Twitter @HenzanRyota


【特集】ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。~更に挑戦は続く~情熱物語

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平識選手

ペルーリーグ1部、シエンシアーノで活躍する平識善昭。ペルーでは大きな挫折を経験し、そこから這い上がり現在は南米王者を決める大会、リベルタドーレスカップにも度々出場する名門で、闘いの日々を過ごす。今週の月曜日から平識善昭の特集を組んでいるが、今回は最終章となる~更に挑戦は続く~編を掲載する。インタビューアーはブラジル、コリンチャンスなどで指導者の経験を持つ平安山良太が務める。

平安山 :平識さんのここまでの挑戦には感動しました。今後はどういった目標を持っていますか?

平識 :前から南米流サッカーを身に付けた今の自分が、日本に戻ったらどのくらい出来るのか試してみたいという気持ちがありました。12月23日のドリームマッチ群馬は中田英寿選手など大物と同じピッチに立てるので、とても楽しみにしています。直近だとこの試合が大切ですね。また、実はずっと三浦知良選手に憧れてて、ペルー来る前にはブラジル挑戦も考えてたんです。そこで2016年には遂にブラジル行きを決めました。今回も特別なアテとかはないんですけど、強い気持ちで色んなセレクション受けたりしながら活路を見出せたらなと思います。そして欧州チャンピオンズリーグ!世界一の選手!難しい領域なのは分かってますけど、サッカーやってるなら目指したい場所だと思います。

平安山 :選手引退後の、第二の人生はどう考えていますか?
平識 :30歳くらいに引退した後は、世界一周の旅をしながら、周った国々でサッカー教室を開いて普及活動も2年くらいかけてやりたいです。そして両親の故郷で親戚も多い沖縄が好きなので、沖縄に家を建ててカフェを開き、サッカースクールと共に両立させて生きていきたいですね。

平安山 :私もいずれ、沖縄に戻るつもりです。プロにはFC琉球や沖縄SV、女子にも琉球デイゴスやナビィータが出来て盛り上がりつつある沖縄サッカー界ですが、是非共に発展させていきましょう!平識さんが大切にしている考え方や座右の銘はありますか?

平識 :人のおかげっていう事を意識したいなと思っています。”俺は海外でプロだから凄いんだぞ!”って経歴とかだけ見せて威張りたいのではなくて、僕が凄いのではなくて、人に助けられた。この事を忘れずにいたいです。高1の時、群馬では有名なお好み焼き屋のKANSAIってお店があるんですけど、そこの社長さんが伊勢崎商業のOBって事で講演会に来てくれたんです。ただ、KANSAIの社長さんは、講演会始まってから終わるまで、自分が社長って事を言わないんです。正直最初は聞きながらこの人誰だろ?って思ってました。でも話し方が丁寧で、腰が低くて、いつもみんな講演会なんて適当に流して聞いてただけだったのに、この時は衝撃を受けて。後で先生があの人はKANSAIの社長さんだという事を教えてくれました。かっこいいなって思いましたね。
あれから人と話す時には、威張るくらいなら下から丁寧に話そうと意識するようにしてます。

平安山 :素敵な社長さん、素敵な心がけですね。私も多くを学ばさせて頂きました。今回はありがとうございました。

平識選手

ドリームマッチ群馬2015-remember松田直樹- に、平識 善昭は12月23日、正田醤油スタジアム群馬で、群馬ドリームスの一員として出場する。

是非とも応援よろしくお願いします。

平識選手 平識選手

 

第1話 ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。海外で挫折を乗り越え開花した秘訣とは?情熱物語

第2話 ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。~ペルーで経験した外国人いじめ~情熱物語

第3話 ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。~契約満了から挫折、復活まで~情熱物語

 

~平識 善昭プロフィール~
埼玉県出身 伊勢崎商業高校卒
藤岡キッカーズや伊勢崎商業高校でプレーした後、南米ペルーへ。日本でのプロ経験はない。ウニベルシタリオ→シエンシアーノと活躍し、ドリームマッチ群馬2015に出場予定。2016年からはブラジル挑戦を表明している。

~筆者・平安山良太プロフィール~
1990年5月21日生 沖縄出身 中京大卒
小学生よりサッカーを始めるが、ケガにより早期挫折。高校時代より指導者の道へ。日本で街クラブ、部活、名古屋グランパスで幼稚園~大学生まで幅広く指導者として関わり多くを学んだ後、海外へ。東南アジアのトライアジアプノンペンFC(現カンボジアンタイガーFC)やラオス代表で研修した後、ブラジル挑戦。
ブラジル一部リーグのアトレチコ・パラナエンセ→SCコリンチャンス→Avai FCの下部組織にてアシスタントコーチを歴任。ライター、代理人業も広く行っている。

お問い合わせは 公式Twitter @HenzanRyota

【特集】世界で戦える選手を育てる 食生活から選手育成

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近藤岳登選手と管理栄養士の高野稚香子さん
(写真:右から近藤岳登選手と管理栄養士の高野稚香子さん)

2010年に南アフリカで行なわれたW杯でベスト16に進出し、ロンドン五輪でも44年振りにベスト4に進出するなど、近年世界と戦えるようになってきた日本サッカー。だが昨年のブラジルW杯では惨敗に終わるなど、まだまだ世界との距離が遠いという現実もある。世界と肩を並べて戦うためには練習環境や、メンタル面での違いが大きいと言われているが、それ以外の部分でもまだまだ劣っている部分が多い。今回はその劣っていると考えられるモノの一つである、食事面について追求した。

海外の強豪クラブではジュニア世代から寮生活に入り、食生活から管理されることも少なくない。精密な身体検査を定期的に行い、「この選手はタンパク質が必要」、「この選手は前回に比べて体脂肪が少し増えている」などといった細かなデータを選手毎に算出しているクラブもある。日本は恵まれた環境ということもあり、食べたいものがすぐに手に入る。さらにファストフード店など、外食産業も盛んで家で食事をすることよりも、外で食事する方が多いという家庭もある。では外食が多い生活の中で、トップアスリートを目指す子どもたちに必要な栄養素を摂取することは難しいのか。

とりでんのフランチャイズ本部、牛角のエリアフランチャイズ本部を展開する株式会社プライム・リンクの管理栄養士を務める高野稚香子さんに話を聞いた。

初めて高野さんと話をする中で、「子どものサッカーの大会や試合が終わった後に来店してくださる御家庭などが最近では多くなってきました。打ち上げとしてお店を利用していただくこともあります。親御さんがお酒を楽しみ、子どもたちはお食事をするという場面も多く見受けられます」と最近の利用客の状況が把握できた。ジュニアユースやユース世代になると寮生活で食事を管理してもらえることもあるが、それ以外の一般家庭ではやはり、このようなケースが多いこともわかった。

 では試合後の子どもたちの体に必要な栄養素を含むメニューはあるのか。「食べ合わせ次第で可能だと思います。試合で消耗した糖質(炭水化物)・タンパク質・ビタミン・カルシウムなどを補うことは可能です。ただ現状でアスリートのための食事は用意されていません」という話が出た。やはり現在の外食産業が盛んな日本で、食生活の面からアスリートを支えることは難しいのかと考えていた。

9月28日にJリーグの町田ゼルビアが、選手やアカデミーに所属する子どもたちに健康や発育に配慮した食事を提供するとともに、地域の人たちに健康に配慮した食を提供することを目的に『ゼルビア×キッチン』をスタートさせたが、これは大きな一歩を踏み出したと私は感じた。プロの選手たちを夢見て、子どもたちもこの食堂で多くを学ぶと考えていた。

これをヒントに今回『とりでん』でも多くの案が出されて、その中からJFLのFC大阪と共同でアスリートのためのご飯が開発されることになった。打ち上げやお酒の場に、子どもが連れそうことも多い現在の日本。その子どもたちに少しでも貢献できればと考えられている。さらに子どもたちのサッカー教室を行うとともに、親御さんへの『アスリート育成食事メニュー』の講座を開く予定とのこと。

FC大阪の近藤岳登選手も『アスリート育成食事メニュー』講座の打ち合わせに参加し、本当に知りたいのは何かを話し合った。近藤選手は「家に帰ったら夕食までの間にお腹は減るし、子どもはお菓子を絶対に食べる。だからこのお菓子だったらこっちのお菓子などピンポイントで良い方を教えたほうがいい」、「好きな物を食べることを我慢するとストレスに繋がるから、最初からダメと決めつけるのではなく、打開策などがあればよりいいのでは?」などとアドバイスを送った。

この打ち合わせなどから多くのヒントを得た『とりでん』は、予定している『アスリート育成食事メニュー』講座で、具体的なメニューを保護者に伝えることになったようだ。例えばコンビニエンスストアのお弁当を食べる場合は、〇〇と〇〇など具体的に良い組み合わせなどを伝える。誰でもすぐに実践できることを伝えていく。

 栄養士やサッカーチームコーチなどが語る、選手育成のための食事はこれまで、「これは食べてもいいがこれはダメ」といった教えが多かったが、『とりでん』が主催する今回の講座では詳しい内容が話される。実際にコンビニエンスストアや、ファストフード店の食べ物でこの組み合わせが良いと薦められると、スポーツをする子どもを持つ親からすれば、ありがたい話。

実際にこのような取り組みが全国で行われることになると、子どもたちの食の改善に大きく繋がると私は思う。まずは12月26日に行なわれる『FC大阪×とりでん』のサッカー教室&『アスリート育成食事メニュー』講座がどのようなものになるか様子を見たい。

 

(取材・文:澤田悠樹)

 

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サッカー王国ブラジルで指導者を務める平安山氏が語る W杯後のブラジルの現状

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平安山良太氏

ブラジルの強豪クラブコリンチャンスやアヴァイなどの下部組織での指導経験を持つ平安山良太氏。そんな平安山氏にブラジルW杯終了後のサッカーに対するブラジル人たちの熱や環境について話を聞いた。

-2014年に開催されたブラジルW杯でブラジルは惨敗を喫しましたが、国内での雰囲気は変わりましたか?
平安山:自信がなくなった感じは受けました、 明らかに雰囲気は落ちましたね。自国のチームが失点することを喜んだり、皮肉が混じった応援をするサポーターが明らかに増えましたね。
-実際にサポーターが減るということはあった?
平安山:W杯で惨敗することよりも経済的にブラジルは今かなり苦しいです。一般的な平均月収が8~9万円ぐらいで、サッカーの観戦チケットは日本と変わらないぐらいまで高騰してしまっています。コリンチャンスは元々、市民のクラブとして愛されていたのですが、現在良い席で1万円ぐらいします。スタジアムへ足を運ぶのが難しくなったサポーターも増え、「俺たちのクラブはどこに行った?」とサポーターが訴えていました。
-他にW杯後に何か変わったことはありますか?
平安山:
 サッカーとは少し関係ないかもしれませんが、日本でも何度か報道されていた、日本戦の後サポーターがゴミを持ち帰ったことがありましたよね?あれがブラジル国内でもけっこう報道されていて、コリンチャンスの選手たちからよく「良太、これあげるよ」とゴミを渡されました。(笑)
そういうことじゃないと周りのブラジル人たちによく説明していましたね。 


-やっぱりスポーツではサッカーが人気ナンバー1?
平安山:スポーツをするとなった時、9割がサッカーを選びますね。あとはバレーボールやバスケットボールが人気があります。最近では色々なスポーツのレベルが上がっていますが
 、サッカーがあってこそだと思います。ブラジルのサッカークラブはFC(フットボールクラブ)ではなく、AC(Athletic Club)として活動しているクラブも少なくなく、クラブが保有する施設の中に体育館やテニスコートなど、色々な施設があってそこで他の競技のトップを目指す人たちがトレーニングを積んでいます。
-平安山さんから見て、まだまだ日本とブラジルはまだまだ交流が少ない?
平安山: もっと日本の企業がブラジルに進出してほしいと思います。ブラジルの方々もそれを望んでいますが、きっかけがない。ブラジルの人たちは人付き合いが好きなので、きっかけさえあれば話が進むのは早いと思います。「Jリーグのクラブを知っている?」と聞いたら「鹿島アントラーズ、柏レイソル、ガンバ大阪、セレッソ大阪」は知られているが、それ以外の認知度はまだまだ低いです。
-ブラジルと日本をつなぐ架け橋になるために今平安山さんは努力されておられているのですね?
平安山氏:はい。自分が架け橋になって互いの文化をもっと知っていければと思います。 僕はサッカーで日本とブラジルをつなぎたいと思います。故郷の沖縄県でサッカー大会を開催して、ブラジルのクラブに出場して欲しいと考えています。

 

 「沖縄にもっとサッカーを普及させたい」ブラジルのクラブで経験を積む平安山良太氏

 

 〜平安山良太プロフィール〜
小学生よりサッカーを始めるが、ケガにより早期挫折。高校時代より指導者の道へ。日本で街クラブ、部活、Jクラブで幼稚園~大学生まで幅広く指導者として関わり多くを学んだ後、海外へ。東南アジアのトライアジアプノンペンFC(現カンボジアンタイガーFC)やラオス代表で研修の後、ブラジルへ。
ブラジル一部リーグのアトレチコ・パラナエンセ→SCコリンチャンス→Avai FCの下部組織にてアシスタントコーチを歴任。ライター、代理人業も広く行っている。

 

(取材・文:澤田悠樹)

 

指導者になるため、ピョン・テフィが選んだアジアでの武者修行

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ASEAN FOOTBALL LINKより

ラオス・プレミアリーグでキーパーとして2シーズンを過ごしたピョン・テフィ。将来、指導者となるために、大学を中退してアジアでプロ選手として経験を積む道を選択した。今季で現役を引退し、来季は日本へ戻って母校のゴールキーパーコーチに就任することが決まっている。ピョンの選択は、「アジア挑戦」の多様な意義の可能性を感じさせてくれる。

-昨季と今季の2シーズン、ラオス・プレミアリーグでプレーしました。ラオスに来た経緯から教えてもらえますか。
大学に通っていたんですが、2年で中退してラオスに来ました。もともと最終的な目標は指導者で、そのためには一度はプロとしてやらなければいけないという思いがありました。高校の頃から周りの人からは「海外に行ったほうがいい」ということも言われていたんですが、あまり興味がなくて。でも、大学では怪我もあって出場機会に恵まれない状況が続いたこともあって、海外に出てみようか、という気持ちになりました。選手としては「最後のチャレンジ」という思いでした。
-高校までは、どういったチームでプレーしていたのですか?
僕は在日3世になるので、日本で生まれ育って、日本のクラブチームや学校の部活でプレーしてきました。小学校の時はクラブチームに入っていて、中学校は部活、高校では水戸ホーリーホックのユースに所属していました。その時はJリーグでプレーしたいと思っていましたけど、トップに昇格することができずに大学へ進学しました。

-大学を中退して海外挑戦を決めたということですが、最初からラオスでのプレーを視野に日本を離れたのですか?
最初はタイにテストを受けに行きました。バンコク周辺のディビジョン2(3部)のチームを中心に練習参加して、一ヶ月半くらいタイにいたんですがチームが決まらなくて。興味を示してくれるチームはあったんですが、やっぱりキーパーに外国人枠を使うチームは少ないので難しさを感じました。それで、練習参加するチームもなくなった頃に「ラオスに行ってみてはどうか」という話をもらって、ラオスへ行くことになりました。
-ラオスでは、すぐにチームが決まりましたか?
最初はラオ・トヨタFCではなくて、別のチームのテストを受けに行く予定でした。それが、ラオスに着いた日にちょうど、同じ頃にラオスに来ていた本間和生さん(ラオ・トヨタFC)の試合があるということで見に行ったんです。そうしたら、ラオ・トヨタFCの2人のキーパーがたまたま怪我と病気で来ていなくて、「試合に出られるか?」と言われて急遽その試合に出場したんです。そうしたら「一週間くらい見たい」という話になって、練習に参加して、そのまま契約することになりました。
-なかなか幸運な形でチームが決まったのですね。
奇跡的に決まった感じですね。とにかく、ひと安心でした。
-ラオスという国には、どんな印象を持ちましたか?
正直、最初に「ラオス」と聞いた時にはタイの地方かと思ったくらいで何も知りませんでした。実際に来てみての印象は、穏やかな感じですぐに気に入りました。僕は大きい都市よりも田舎のほうが好きなので。海外は初めてだったので最初は戸惑うこともありましたけど、すぐに慣れました。食事も住むところも、全く問題ありませんでした。

 

【続きはコチラ】最終的にはJリーグのコーチになるのが一番の目標です

ASEAN FOOTBALL LINK

 

一度は諦めたサッカーの道 空白の期間にサッカーの素晴らしさを再認識した伴 和暁

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ASEAN FOOTBALL LINKより

今季はカンボジアリーグの強豪、ナーガ・ワールドFCの中盤を深澤仁博との日本人コンビで支えた伴和暁。大学時代に一度は諦めたサッカーの道での再挑戦を決意し、ヨーロッパでプロキャリアをスタート。その後、東南アジアに戦いの場を移した。昨年はワールドカップ予選で日本と対戦するなど大きな転機の年となった注目の新興国、カンボジアでの戦いに迫った。

-昨季からカンボジアリーグでプレーしていますが、その前はヨーロッパにいたのですよね。
ポーランドで1シーズン半ほどプレーしていました。最初はエストニアのクラブと契約をしたんですが、登録のミスでプレーすることができず。3ヶ月エストニアにいたあとで一週間ほどラトビアのチームに練習参加し、最終的にはポーランドのクラブでプレーすることになりました。
 
-ヨーロッパに挑戦したきっかけはどんなものでしたか?
実は、大学3年で一度サッカーをやめているんです。それまで21年間サッカーしかしてこなかったので、ちょっとサッカー以外の世界も見てみたいという気持ちがありました。それで、留学という形で中国に行くことに決めました。その頃、中国の経済が成長していて日本のGDPを超えるという時期だったんですが、あまりイメージがわかなかったの、実際に上海に行って見てみようと。結果的には、一度サッカーから離れたことで、よりサッカーの素晴らしさに気づくことができました。
 
-それで、改めてサッカーの世界に戻ったのですね?
はい。ちょうど中国に行く頃に2010年のワールドカップをテレビで見ていたんですが、それもひとつのきっかけでした。内田篤人選手(シャルケ04)や森本貴幸選手(ジェフユナイテッド千葉)など、対戦経験や選抜チームで一緒にプレーしたことのある顔なじみの選手たちがプレーしている姿を見て、うれしい反面、悔しい思いもありました。自分と彼らとの差はなんだろうと考えた時に、「自分はサッカーをやめた、彼らは続けた」ということを感じて変な気持ちになってしまって。中国に行っても煮え切らない思いが続いて、半年くらい経った時に「やっぱり、自分はサッカーをやりたいんじゃないか」と。その時23歳で、やるなら今しかないという思いでサッカーの世界に戻ることを決めました。

-具体的にはどのような行動に出たのですか?
トレーニングを重ねて体を戻して、まずは中国のいろんなチームに練習参加させてもらったんですが、なかなかチームは決まらず。もう少し視野を広げてみようと世界中のリーグのクラブにプロフィール動画と一緒にメールを送りました。アジアでは中国、香港、日本、タイ、ベトナム、カタール、UAEなど10カ国くらい、ヨーロッパでも可能性のありそうな10カ国くらいに送りました。クラブ数としては、200から300チームは送ったと思います。

-反応はどうでしたか?
20くらいのチームが返信をくれたんですけど、内容としてはほとんどが「トライアルは受け付けていません」、「来季の編成は終了しました」、「来年のこの時期に来てください」といったものでした。そのなかで、エストニアのクラブが興味を持ってくれて、練習参加できることになったんです。
 
-その結果、最終的にポーランドのクラブと契約に至ったのですね。ポーランドでは、どんなチームでプレーしたのですか?
試合に出なければ意味がないですし、ポーランドでは4部や5部で活躍して1部に引き抜かれることもけっこう頻繁にあるということで、まず4部のクラブの練習に参加しました。そのチームからオファーをもらって、そのまま契約することになりました。そのクラブは2部で戦っていたこともあるクラブだったので、スタジアムや練習場も整っていましたし、4部でも環境は恵まれていたと思います。レベルは一概には言えないですけど、日本の大学レベルよりは上なんじゃないかと感じました。体つきは明らかに日本人とは違って、バチバチ来る感じです。実際、試合にも出場することができていい経験になったと思います。

 

【続きはこちら】新天地を求めてアジアへ

ASEAN FOOTBALL LINK

チェルシーで孤軍奮闘するウィリアンのコンディション調整法を伝承!?コリンチャンスで活動する坂口氏

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コリンチャンスの日系トレーナー

2012年クラブW杯を制し、世界一になったコリンチャンスを覚えているだろうか?地球の裏からやってきた熱狂的なサポーター達は、あたかも横浜の街を「ここはブラジルなのか?」と錯覚させてしまうほどの衝撃だった。

トップチームにおいては資金力のある欧州が南米の優秀な選手を獲得していく一方、育成年代の段階ではまだブラジルに残っている選手もいる。例えばコリンチャンスU15はバルサやレアルをアウェースペインの地まで赴いた上でも倒してしまうほどの力を持つ。

近年で言えばチェルシーで孤軍奮闘するウィリアンや、マンCにいたジョー、パリSGのマルキーニョスなどがコリンチャンス下部組織出身の有名選手だろうか。そんな彼らの基礎を築いたコリンチャンス下部組織の中で、1人の日系人トレーナーの活躍を無視する事は出来ない。

坂口フラビオ。40歳。日系ブラジル人3世だ。

今シーズン序盤、昨季イングランド・プレミアリーグを制した王者チェルシーが、何故監督も選手も大きくは変わらない中で降格争いを演じる事になったのか?しかしその中で何故ウィリアンだけは変わらずハイパフォーマンスを保っているのか?

その理由の中に、ウィリアンがコンディション調整法を育成年代からコリンチャンスYで叩き込まれたからであるのは外せない。

コリンチャンスの日系トレーナー

坂口フラビオもまた、コリンチャンスのトレーナーとして、コンディション調整法や治療法を伝承している。本人の国籍自体はブラジルであり、日本語もカタコトな日系3世ではあるが、日本への特別な思いも強い。ブラジルW杯の時にはコリンチャンスの同僚として、筆者・平安山と共に精一杯日本を応援した。

コリンチャンスの日系トレーナー
‐日本についてどう思いますか?
坂口フラビオ:私の祖父母が日本人なので、私は日本との接点を多く持っています。沢山の日本文化も学んできました。日本はとても発展した国で、人々は組織的で助け合っています。日本人には正直者が多いとも感じますね

 

‐Jリーグで好きなクラブは?
坂口フラビオ:ジーコが昔プレーしていた事もあって、鹿島アントラーズが好きです。また、2011年に友達のマゾーラが浦和レッズでプレーしていた事もあり、両クラブを応援しています。

元日本代表監督ジーコ氏と坂口フラビオinブラジル

筆者がコリンチャンスにいた当時、フラビオが車でサンパウロの街を案内してくれた事もあったほどの日本人好きで、人間性も素晴らしい彼。是非とも将来は日本サッカー界への貢献も期待したい。それには日本サッカーからのアプローチも必要なのだと思うが、果たして・・。

坂口フラビオと平安山良太氏

 

~筆者プロフィール~
平安山 良太(へんざん りょうた)
沖縄出身 中京大学卒
中京大学や名古屋グランパスU12などで指導者として関わった後、ブラジルやアルゼンチン、ペルーなど南米で指導者の道を志す。ブラジル1部のコリンチャンスやアヴァイFCで指導者を務め、アルゼンチン1部リーベルプレートで研修生、ペルー1部アリアンサ・リマで研修生を経験した。
東南アジア時代にカンボジアンタイガーFCの前身や、ラオス代表での研修経験もある。

公式Twitter
@HenzanRyota

公式インスタグラム
https://www.instagram.com/ryotahenzan/

【現地調査】生まれ変わるタイサッカー 日本ブランドの現在地

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タイサッカー

今回わたしは縁が合って、タイに訪問することになった。タイといえば約3年ほど前に日本人ブームが起こり、多くの日本人が『タイドリーム』を目指して、海を渡った。しかし、あの日本人ブームは終わり、今タイ・1部リーグでプレーする日本人選手は少しづつ減ってきている現状があった。そして、今年タイリーグは変革の年を迎えていることも今回の旅でわかった。

■新会長にソムヨット・プンパンムアン氏が就任
2016年シーズン、タイサッカー協会が新たなスタートを切った。贈収賄などに関与した疑いでFIFAから資格停止処分を受け、タイサッカー協会の会長選で不正を働いたとして、裁判所から有罪判決(執行猶予付き懲役16か月)を受けた、ウォラウィ・マクディ前会長に変わり、前警察庁長官ソムヨット・プンパンムアン氏が新会長に就任。ソムヨット新会長は「公平さを保ち透明性ある協会にしていく」と協会の指針を表明している。
まず第一にプレミアリーグから、Division2まであるリーグの編成の見直し及び、給与未払い問題などのクラブ整理がリーグ開幕前に行われた。

 

■給与未払いクラブはクラブライセンスを剥奪。所属クラブを失う日本人選手も
ここ数年、タイリーグは目覚ましい発展を遂げ、多くの人々や企業から注目が集まり、多額のスポンサー契約を結ぶクラブも出ていた。そのスポンサー収入を利用して、力のある選手と契約をするクラブもあったが、ここで大きな落とし穴が待ち構えていた。契約を結んだもののスポンサー料が未払いになってしまう問題などが起きてしまう。これが選手への給与未払い問題に発展してしまっている。ソムヨット新会長は各クラブに対しての十分なヒアリングを行わないままに、クラブライセンスを厳格化し、給与未払い問題などで急遽クラブライセンスを剥奪され、活動停止となったクラブも出てきている。クラブライセンスの剥奪、活動停止などの影響により、所属クラブを失ってしまった日本人選手も存在している。

 

■一度開幕したDivision2は無効試合となる
実はDivision2の2016年シーズンは2月に一度開幕を迎えていた。しかし、各リーグに登録クラブが重複するという問題が出ていることや、プレミアリーグのクラブ編成やDivision1のクラブ編成がギリギリまで決まらなかったことから、Division2は1度は開幕戦を行ったが、無効試合として扱われ、新たにリーグを編成し直す形となった。これまで6つのリーグに分かれ、各リーグの上位2チームがプレーオフに進出し、昇格に向けたリーグ戦を戦っていたDivision2だったが、今季から8つのリーグに分かれ、上位2クラブが昇格に向けたトーナメントに進出することとなった。 

 

 

【次ページ】ブランド力が低下する日本人選手 再び日本ブランドの向上を目指す


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