小学生の時に初めてペルーに渡り、ペルーの日系人のサッカー大会に夏休みの旅行で参加。その大会で優勝して優秀選手に選ばれ、逆輸入の様な形でペルー日系人と東京選抜との国際試合に出場した平識善昭。現在はペルーリーグ1部、シエンシアーノで活躍している。複数回に分けて平識のペルーでの活躍や経験についてを紹介していく。今回インタビューアーはブラジル、コリンチャンスなどで指導者の経験を持つ平安山良太が務める。
~ペルーで経験した外国人いじめ~
平安山 :本格的にペルー挑戦してからはどうでしょう?確かペルーでの最初のチームはシエンシアーノでは無かったはずです。
平識 :伊勢崎商業高校を卒業して、そのままペルーに渡りました。最初のチームは首都リマのウニベルシタリオというチームでした。ウニベルシタリオの下部組織でやってて、首都リマの王者を決める大会の決勝戦で直接FKの決勝点あげたりして活躍出来た事もあって、TOPチームに呼ばれました。でもこっちのチームでは他所から来た日本人にチームの枠をあげたくないという気持ちが見え見えの選手もいて、陰湿な嫌がらせも受けました。スパイク隠されたり、ユニホームが切り刻まれてたり、いつの間にか物が無くなるなんて事もありました。僕も少しやんちゃな時期もあった人間なので、イライラも溜まっていったんですけど、ここで殴ったら俺が終わるなと。ここはペルーなので、ペルー人側の方が人数も多いし、僕が悪者にされるだろうなと。クラブを去る事になるのは俺の方になると思いました。この状況はプレーで変えてやるという強い気持ちでやりました。結果ですね。
平安山 :成功する人は、その過程で嫉妬は受けると思います。口で言う正当そうな理由と、心の奥底で思っている、自分でも認めたくない本当の理由は別だったりします。
平識 :ペルー来た最初はそんな状況だったんですけど、FK決めたりとか、プレーの結果が出てくると、チームメイトの態度にも変化が出てきました。海外でやるのには、結果って凄く大切なんだと思います。
明日は平識 善昭がペルーで経験した「~契約満了から挫折、復活まで~」を掲載致します。
第1話 ペルーリーグ奮闘記。平識善昭の挑戦。海外で挫折を乗り越え開花した秘訣とは?情熱物語
~平識 善昭プロフィール~
埼玉県出身 伊勢崎商業高校卒
藤岡キッカーズや伊勢崎商業高校でプレーした後、南米ペルーへ。
~筆者・平安山良太プロフィール~
1990年5月21日生 沖縄出身 中京大卒
小学生よりサッカーを始めるが、ケガにより早期挫折。
ブラジル一部リーグのアトレチコ・パラナエンセ→
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