「将来は海外でプレーしたい。今年ケルンに行った長澤選手のように、チャンスがあれば大学から海外へ行きたい。自分にもできると思っています」昨年、桐光学園から同志社大学に進学したMF松井修平が、インタビュー後につぶやいた。
第91回全国高校サッカー選手権大会・3回戦、佐賀商業対桐光学園の試合を観戦した、桐光学園の卒業生で元日本代表MF中村俊輔が「あの10番いいね」と褒めた。その10番が松井修平であった。『ポスト中村俊輔』と呼ばれた松井に、現在と過去について聞いた。
■本当に目標としている選手は中村憲剛だった
‐川崎フロンターレU‐15での経験
松井修平(以下、松井):基礎練習がかなり多かったおかげで、ボールタッチの柔らかさや、プレーするにあたって大事なことは自然に身につきました。また当時のチームはあまり強いチームじゃなかったので、どういうプレーをすれば勝利につながるのかなど、考えさせてもらえたのは非常にプラスになりました。
‐目標としているのは川崎F MF中村憲剛?
松井:ジュニアユースの頃に、トップチームの試合の優待券などをもらう機会がよくあり、その時に中村憲剛選手のプレーを見ることが多く、すぐに憧れました。今でもそうですが、得点につながる決定的なパスなどはすごいと思いますね。その頃から自分もあんなプレーがしたいと思い始めました。
‐なぜユースチーム昇格を断って、桐光学園へ進学したのか?
松井:厳しい環境に身を置きたいと思いました。ユースチームからJリーグへという流れが、一番の最短ルートかもしれませんが、当時プリンスリーグで上のリーグにいる桐光学園でサッカーがしたいという思いが大きかったです。
‐桐光学園での練習は厳しかった?
松井:夏の合宿での4部練習はかなりきつかったです。朝5時から走って、多い時は午前、午後、夜と3回走るトレーニングをすることがありました。でもそのおかげでフィジカルは強くなりました。桐光学園のサッカーはカウンターサッカーが主体で、攻守の切り替えなどは、あの走るトレーニングで培われていると思います。
‐選手権大会での経験は?
松井:選手権はここでサッカーを引退すると決めた選手も多く、サッカー人生をかけて向かってくる選手もいるので、すごく難しい大会でした。でも観客もたくさん入って、良いプレーをすると、かなり盛り上がるので、楽しかったですね。今までのサッカー人生で一番楽しいと感じた時でした。
‐選手権大会では『ポスト中村俊輔』と呼ばれていましたが
松井:周りからかなりいじられました。背番号が同じ10番というのもあったので、言われていたんだと思います。でも中村俊輔選手に褒められていたのは嬉しかったです。
‐高校選抜としてデュッセルドルフ国際大会に参加した感想は?
松井:考えていることを主張できる選手が多く、そういう部分が長けているから、世代を代表する選手になるんだと感じました。みんな自分の意見をしっかり言えたからチームはまとまりましたし、それが優勝につながったと思います。
‐今後の目標は?
松井:まずは同志社大学で、インカレや総理大臣杯に出て優勝につなげたいと思います。技術では良いものがありますが、崩れ始めると一気に崩れるので、チームとしてもっとメンタルの部分が成長しないといけないと思います。
個人としては、関西選抜や全日本大学選抜に入りたいと思います。個人のレベルが上がればチームの成績につながると思います。将来は海外でプレーしたいです。デュッセルドルフでプレーして、より一層海外でやりたいと思えるようになりました。
(取材・文:澤田ゆうき)