ブラジル・アルゼンチン・ウルグアイに次ぐ、南米のサッカー古豪国であるパラグアイ。近年では、2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会で、日本代表初のベスト8進出を阻んだ国として、記憶しているサッカーファンも多いのではないか。しかし、欧州と違い情報収集が難しい南米各国のサッカー情報の中でも、パラグアイのサッカー事情を耳にする機会は少ない。そんなパラグアイ2部リーグで、サッカー留学生として奮闘する3人の若者がいる。熱帯気候の属するパラグアイの中で、比較的過ごしやすい気温が特徴な4月中旬。彼らに会うために「聖母の被昇天」という名前に由来する、首都アスンシオンを訪ねた。
「試合中に自分のサイドが破られて点を取られたら、全部自分の責任となります。当然次の試合に使ってくれません。1対1を重視する考え方で、個人主義の側面が強いです。言い換えれば、サッカーが非常にシンプル。ただシンプルという点に関して言うと、自分には合っているのかもしれません」声の主は、リバー・プレートでレギュラーのサイドバックとしてプレーする交久瀬直人。
現在25歳の交久瀬は、立正大淞南高校で全国大会に出場した後、國學院大学を経て、”自身のサッカー人生を見極める”という意味を込めてパラグアイ留学を選択した。
「大学4年生の途中で、アジアでプレーしてみたいと思うようになりました。日本で選手を続けるより、自分の可能性が広がるのではないかと。結局パラグアイ選んだのは、いくつかあった選択肢の中で1番自分を鍛えられると思ったからです。選手としても、人間としてもハングリーな部分を学べると思った国がパラグアイでした」
パラグアイでのプレー環境に目を向けると、給料未払いも珍しい話ではなく、厳しい側面もある。2部リーグでは、寮ではなく家族で一緒に住んでいる選手が大半を占め、他の仕事を持っている選手もいる。交久瀬曰く、馬や牛や犬が突然練習場に突進してきたこともあるという。ただ、物質的には恵まれているとは言えないパラグアイでの経験は、交久瀬の考え方を変えた。「今までは、日本という国しか知らなかったので。今は、サッカーを通じてパラグアイという国に感じることができたので、帰国後は、いろいろ比較して物事を考えてみたいです。選手としては、技術的にもそうですが、特にメンタルの部分で自分を鍛えることができました。リバー・プレートの会長は、試合だけでなく、毎回練習にも顔を見せるほどサッカーに対する情熱を持っています。なぜパラグアイが南米で、世界でも強豪国の1つとして歴史を刻んできたのかが、少し理解できました気がしています。」
今年パラグアイでの生活が3年目を迎えた山中敦史は、ヘネラル・カバジェロに所属する21歳。左サイドバックとしてプレーする山中は、180センチ、80キロという体躯を活かして日々屈強なパラグアイ人FWと対峙している。
「元々、サッカー=南米というイメージが強かったんです。パラグアイを選んだのはビザやメンバー登録の状況も踏まえてパラグアイに決めました。今では、その選択が間違ってなかったと思っています。彫りが深いので、時々パラグアイ人に間違えられるのはネックですが。笑」
毎朝4:00頃に起床し、7:00から練習がスタート。10:00頃に自宅に戻り仮眠を取り、自主練習に励んだ後、22:00頃に就寝。パラグアイに来てからの3年間、山中は毎日同じリズムの中でサッカー漬けの日々を過ごしている。求められていることは、サイドバックとしてセンタリングの精度と、1対1の強さと話す山中は、選手としての今後に目標についても話してくれた。
「サッカーが身近なので、試合に出続けること、いいプレーをし続けることで、代理人やスカウト、他のチームから見てもらい易いのがパラグアイの魅力。結果を出して、パラグアイ以外の南米のチームでもプレーしてみたいと思っています。今は、”南米”にこだわってサッカーをしたい。パラグアイに来てから、日本に帰りたいという思ったことはありません。最終的には、リベルタドーレスに出場できるチームでプレーしたいです」
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この内容の書き下ろしが「南米と日本をつなぐ者達」(ギャラクシーブックスより6月頃出版)に収録されます。
(文・写真 栗田シメイ Twitter:@Simei0829)