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【インタビュー】老舗クラブのGMに聞く「奈良県の実情」

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(写真:武田正二郎GM)

ディアブロッサ奈良は1975年に創設され現在、関西サッカーリーグ2部に所属するクラブ。昨シーズンは関西サッカーリーグ1部の全試合で得点を決めるも、全試合で失点を重ね、8位という結果に終わり、2部に降格。今シーズンは1年での1部復帰と天皇杯出場を目指す。今シーズンからGM業に専念する武田正二郎GMに奈良県のサッカーの実情について聞いた。

 

■Jの看板を掲げるリスク

-現在、奈良クラブがJ3の有力候補と言われていますが、奈良県で約40年間クラブを運営してきたお立場としてどのような印象をお持ちですか?

武田正二郎GM(以下、武田):サッカーをやっていて上のカテゴリーに行きたいと思うのは当然です。それが最後まで行けばJリーグになると思います。うちのクラブはそこを目指すと非常にリスキーであると思っていました。

もちろん、チームを強化したりとか、地域になお一層密着したりすることは大事ですが、トップチームに関してはお金がかなり要ります。選手をプロにするにしてもかなりの金額になります。それをどこから捻出するかとなった場合にスポンサードです。入場収入やユニフォーム、グッズ販売などは見込めないのが僕らのカテゴリーです。そうなるとスポンサードしてもらう方々にJに行きますということでお金を集めますが、非常に不安定な部分が大きいです。

「Jの看板」を掲げることは、クラブにとってマイナスであると考えるわけです。クラブとしては、育成にスタンスを置いていますので評判が良くないというのは、子どもの数に関わってくると思います。その中でトップがJ昇格を目指すことはまだできないと思っています。「必ずJに行きます」といって解散してきたクラブを今までたくさん見てきています。結局、トップだけでやっている分には限界があると思います。

 

■J3は穏やかな“いけす”

-やはり下部組織の充実が必要だとお考えですか?

武田:下部組織があることによって地域に根付きます。もちろん奈良クラブさんも下部組織を作ってこられましたので、これからだと思います。鶏が先か卵が先かという話ではないですが、まずは下の段階からやっていくのが本来の姿ではないのかなと思っています。

ヨーロッパのクラブの発展を考えた時に、Jリーグのように「プロサッカーリーグを作ろう」となって、できたところはないと思います。まずはアマチュアからパートタイムプロになって、それからプロになっていったのが歴史だと思いますので、その段階を踏むのが正しい姿です。ただ、日本の場合はそう言っていると、いつまでたってもプロリーグはできないので、バブルの時代にうまく乗れたというのが、Jリーグの成功だと思います。

ただ、今またそれを追い求めるのはどうなのかなと思いますし、日本サッカー協会及びJリーグにしてみれば、プロクラブが増えてくれるのは望ましいことだと思います。ただ、ある程度のところまでは各クラブが努力しないさいよと、そこから先はJ3という「穏やかな“いけす”」を作りましたよと。そのいけすの中に入ってきたい魚は、入って来なさいよと。その中でうまく育った魚はJ2に行けますが、そのJ3のいけすでうまく育たなかった選手はどうするのか。私の予想ではJリーグも日本サッカー協会も何も教えてくれないと思っています。

J3向けに集めたスポンサーを分配するという話もありますが、それはあくまでもプラスアルファのスポンサードですね。ある意味Jリーグにしてみれば何もリスクのないJ3構想かなと思います。

 

【次ページ】街クラブは、指導者のグレードが一番大切


【インタビュー】INACを支える名物歯科医・小田院長

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小田歯科はINAC神戸のウェアスポンサーで、全選手の歯の治療を行っている。INAC神戸のみならず、ヴィッセル神戸や阪神タイガースの選手の噛み合わせの調整や、マウスピースの作製などを手がける。小田泰士院長は「楽しくなる診療」をモットーに、患者とコミニュケーションを大切にしている。その一つの取り組みとして、4月1日には、なでしこの金メダル獲得を祈願した「金の部屋」やサッカーコートをモチーフにした「なでしこの部屋」を完成させ、患者から好評を得ている。神戸ではちょっとした“有名人”である小田院長に話を聞いた。

■「少しは力になれたかな?」という気持ち

-まず、INACのスポンサーになったきっかけを教えて下さい。

小田院長(以下、小田):女子サッカークラブが神戸に最初あることすら知らなかったんですが、知り合いに紹介され、神戸市民として応援しようと思ったのがきっかけですね。そのころなんて澤さんなんかもいなくて、観客も300人ぐらいだったので、観客席から「川澄、サイドをエグれ!」って叫ぶと、「は~い」と返事してくれるような状態でしたよ。

 

-そのころは、世間でも女子サッカーの認知度はまだまだ低かったと思います。

小田:そうですね。金銭的にも厳しかったようです。もともと、マイナースポーツを応援するのが好きでして、野球の独立リーグや女子のソフトボールの支援していました。スポンサーとかたいそうなものではなくて、3~5万円を協力金のような形で渡していて。同じ感覚で、女子サッカーにも支援し始めました。

 

-スポンサーをやっていてよかったなと思うことは何ですか?

小田:スポーツ歯学が専門なので、少し彼女らの力になれたかな?という気持ちはありますよ。女子サッカー選手って、男子サッカーやプロ野球選手と比べると、体のケアに気を使っていないので。

 

-ブラジルの強豪クラブは、クラブハウスに歯医者があると聞きます。

小田:欧州や南米に比べ、日本はまだまだスポーツ歯学の認知度が高くないように思います。

 

-では、「スポーツ歯学」について教えてください。

小田:スポーツ選手が本来持っている力を発揮できるように、口のケアをすることです。基本的に噛み合わせが完璧な人なんていないので、それを整えてあげます。整えてあげることで、体全体の左右のバランスが取れるようになります。

 

-ポテンシャルが発揮できるようになるということですか?

小田:潜在能力というよりは、もともと備わっている能力を最大限に出せるようになるということです。言ってみれば、「障害を除き、本来の状態に戻してあげる」こと。それはなにも、噛み合わせに限ったことではありません。サッカーで言えば、左右のシューズが揃っていないと当たり前のようなのプレーはできないですし、片目つぶったら、色々なことがいつものようにできなくなってしまうのと同じです。

【次ページ】女子は男子と違い、体の「バランス」が最重要

【インタビュー】ノルブリッツ北海道がアマチュアにこだわる理由

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(写真提供:ノルブリッツ北海道)

北海道の雄、ノルブリッツ北海道FCは昨シーズン、全国地域サッカーリーグ決勝大会決勝ラウンドで3位になり、JFL入れ替え戦に進出した。1勝1負の同得点でPK戦までもつれ込んだ入れ替え戦で、栃木ウーヴァに惜しくも敗れJFL昇格はならなかった。今シーズンは昨シーズン果たせなかったJFL昇格を目標に、まずは北海道サッカーリーグで3年連続17回目の優勝を目指す。

 

■高いレベルでサッカーを継続できる場を

-なぜアマチュアサッカーにこだわりを?

斎藤吾郎コーチ(以下、斎藤):北海道には、学生が卒業した後に働きながら、高いレベルでサッカーを継続できる場が、他と比較すると非常に少ないと感じますので、できればその一翼を担いたいというコンセプトのもと活動しています。当然ながら、現段階では、プロ化は考えておりません。

 

-北海道のサッカー人気は?

木島敦監督(以下、木島):まずまずです。登録者数で言えば、多分トップ5には入ると思います。一番が東京でその後に神奈川、埼玉ですが、発表されている分では埼玉を上回っている可能性があります。

 

-札幌市と江別市をホームタウンにされていますが、江別市のサッカー人気は?

木島:サッカー人気は高いと思います。江別市は札幌市と同じ管内で、札幌市と比較するとチーム数が少ないことから、札幌市のクラブチームに登録している選手もいると認識しています。

 

-クラブ設立の経緯を教えてください。

斎藤:企業チームとして発足し、選手構成上の問題などから、2003年にクラブ化を図っております。

 

-当時から北海道では野球よりはサッカーの人気があったのでしょうか?

斎藤:右肩上がりにサッカー人気が高まってきていた時期だと聞いています。

 

-2003年にクラブ化されてから10年が経ちましたが、クラブ運営は当初より改善されてきていますか?

斎藤:当時と大幅に変っていないですね。今回JFL入替戦を経験して、JFLと地域リーグの運営体制や資金面において、格段にレベル差があることを痛感しました。今後は、サッカーのレベルを高めるだけではなく、運営体制や資金面などのチーム基盤を構築していきたいと思います。

 

【次ページ】コンセプトは仕事以外の時間を最大限に利用し競技力を高めて上を目指す

【インタビュー】香川の恩師が語る「スター選手の育成法」

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「神戸に“神童”がいる」。そう騒がれて10数年。いまや、世界中のサッカー界から注目を浴びるようになった選手がいる。マンチェスター・ユナイテッドの香川真司だ。10数年前に、プレミアの強豪でリーグ制覇に貢献する日本代表の10番が誕生することを誰が想像できただろうか。

香川が11~12歳の時に所属した神戸NKクラブの大木宏之監督(現・センアーノ神戸代表)は、香川の第一印象を「衝撃的だった」と振り返る。小さな街クラブから巣立っていった世界の“KAGAWA”の成長を見守ってきた大木氏に、「スター階段への軌跡」を聞いた。

 

■衝撃的なボールタッチの緩急

-香川真司選手との出会いから教えてください。

大木代表:真司が小学5年生の時に、私が仕事をしながらボランティアで教えていたNKクラブ(現・センアーノ神戸)に、地元のクラブから移ってきました。2000~01年のことですね。

 

-香川選手の第一印象は?

大木:衝撃的でした。私自身、その時点で10年間ほど生徒を見てきていましたが、後にも先にも彼ほど衝撃を受けたのは初めてです。

 

-具体的には?

大木:トップスピードで走って、急に止まっても体の軸がぶれない「バランス」ですね。その状態でターンするので、誰も対応できなかったです。ボールタッチの緩急が「あり得ない」と思いました。これは現在、プレミアでも通用しているように思えます。

 

-香川選手がここにいたことは、今もクラブにとってすごく影響があるんじゃないでしょうか?

大木:間違いなく、選手の夢や誇りになっていますね。うちの子供たちは「真司君」と呼びます。セレッソにいた時や、ドルトムントの1年目まではうちの初蹴りに来てくれていたんですよ。プレミアは年始もリーグの試合があるので、移籍後は難しくなりましたが。

 

■香川を育てた「日本版ストリートサッカー」

-どんなことを心掛けて指導されていますか?

大木:基本的な指導法として、なにかをこちら側から教えるのではなく、生徒が「自分で感じとる」という環境作りをするようにしています。人工的ではなく、「天然」の状態を育てるということですね。「日本版ストリートサッカー」と呼んでいます。

南米や欧州はテレビでサッカーの試合が流れているのが、日常ですよね。つまり、幼いころから自然とプレーのイメージができている。一方、日本ではサッカーに対する文化が違うので、自由にやらせたらもちろん上手くはできません。ですので、生徒には積極的にビデオを見せたり、自分たちがまず見本を見せたりして、真似させるようにしています。森島康仁(現・大分トリニータ)に対してもそうでした。※6年時に1年間在籍。

 

 ■サッカーを楽しむことに長けていた香川

-香川選手にも同じような指導を?

大木:そうですね。真司はどちらかというと、自分からサッカーのビデオを借りていくような生徒でした。そういう意味で、真司は「サッカーを楽しむこと」に長けていました。「何にも教えてない」と冗談半分で言うくらい、彼は小学生の時から色々な選手のプレーのビデオを見て、真似していました。もちろん、ビデオの紹介はしますよ。そういえば、以前貸したカズ選手のビデオはまだ返ってきていません(笑)。

結局、自分でしっかりとプレーを振り返って、分析・研究し、修正していくことができる選手だからこそ、世界のトップレベルまで登りつめることができるんだなと今思いますね。

【次ページ】「生徒に下級生のコーチをさせる」という指導

【インタビュー】J注目のレフティー阪南大・窪田主将「点が入ったらみんなでもっと喜ぼう」

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阪南大学窪田主将

J2リーグ徳島ヴォルティスの練習に参加した阪南大学サッカー部主将のMF窪田良は、今シーズン関西学生サッカーリーグ第6節終了時点で、2ゴール4アシストと好調をキープしている。また7月よりロシア・カザンで開催される2013年夏季ユニバーシアードに挑む全日本大学選抜としても活躍が期待されている。

 

■兄のサッカーに付いて行ったのが原点

-サッカーを始めたきっかけは?

窪田:3つ上の兄が小学生の時にサッカーをやっていて、兄のサッカーに付いて行ったときに僕もサッカーをやりたいなと思ったのが最初ですね。それが4歳ぐらいの時でした。そこから地元のサッカークラブに入って、東京ヴェルディジュニアユースのセレクションを受けました。

 

-東京Vユースで印象に残った選手は?

窪田:高木俊幸(現:清水エスパルス)と同い年なんですけど、足がすごく速くて、シュートもうまかったので活躍しても不思議じゃないなと思います。

 

-阪南大学に入学を決めた理由は?

窪田:東京Vユースの試合を阪南大の須佐監督が見に来てくれていて、声をかけてくれたのがきっかけですね。阪南大の練習に参加させていただいて、良いイメージを持てたのも大きいですし、何よりも須佐監督が熱心に実家まで話をしに来てくれたのが大きいですね。

 

-阪南大の練習に参加してみた印象は?

窪田:最初は真剣にやっているのかなというイメージだったんですけど、試合になったらみんな上手いし、しっかり切り返えて頑張るチームだと思いましたね。

 

■キャプテンの重圧はあまり感じない

-キャプテンに選ばれた時の心境は?

窪田:阪南大学は前の年のキャプテンが、キャプテンマークを渡した選手が次のキャプテンに選ばれるのですが、僕は前キャプテンの飯尾くん(現:松本山雅FC)から直接受け取って、やるしかないなと思いました。もともと選手への声掛けや、試合中の声はよく出す方なので、特別何かが変わることはなかったです。

 

-キャプテンとして心掛けていることはありますか?

窪田:点が入ったらみんなでもっと喜ぼうよとか、サッカーを楽しもうというのはみんなに言っています。阪南大はもともと明るい性格の選手が多いので、うまくプレーにつながればいいなと思います。

 

【次ページ】先輩たちからの刺激は本当に大きい

【インタビュー】28年の歴史から見るMORELIAが世代を超えて愛される理由

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ミズノ株式会社企画デザイン部の青井さん
(写真:ミズノ株式会社企画デザイン部の青井さん)

株式会社ミズノのサッカースパイク『MORELIA』は、ミズノ製スパイクの3本柱の内の一つで、1985年に誕生し今年で28年目を迎える。現在ミズノと契約している選手が約100選手いる中で、約40%以上の選手が今のMORELIAⅡを履いており28年経った現在も、多くの世代で愛用されている。ミズノ株式会社企画デザイン部の青井さんに、MORELIAの歴史やお手入れ方法などを聞いた。

 

■誕生から現在までのMORELIA

-MORELIAの名前の由来

ミズノ株式会社企画デザイン部青井さん(以下、青井):モレリアという言葉はメキシコの都市の名前です。MORELIAがデビューしたのが1985年で、メキシコW杯の前年だったことから、この名前が付けられました。

 

-MORELIAシリーズの特徴

青井:ミズノのサッカーシューズはキックに特化したIGNITUSシリーズ、ドリブルに特化したSONICシリーズ、オールラウンドに使用できるMORELIAシリーズという3本柱を軸にしています。その中でも特にリピーターが多いのがMORELIAシリーズです。

高校生や大学生に話を聞くと、「ずっとMORELIAしか履いていません」と言ってくださる選手が大勢いらっしゃいます。28年もの間、ほとんど同じ見た目なのにも関わらず、現在も多くのリピーターに支持されているというのはMORELIAならではの特徴ですね。シューズ自体の機能的な特徴は28年間変わらないコンセプトに凝縮されています。

 

-MORELIAのコンセプト

青井:MORELIAは「軽量・柔軟・素足感覚」という3つのキーワードをコンセプトにしています。1985年のMORELIA開発の際に、当時の開発担当者がブラジルの選手や用具係(ホペイロ)に話を聞くと「スーツのポケットに折りたたんで入れることができるぐらい、軽くて柔軟性のあるシューズをブラジルのトッププレイヤーは求めているんだよ」という言葉が返ってきました。その言葉に発想を得て、「軽量・柔軟・素足感覚」のコンセプトが誕生しました。

 

-オススメする選手は?

青井:カテゴリーやポジションに関係なく、「足入れ感と素足感覚でのプレイにこだわる全ての選手」にオススメしたいです。過去に「一体どのような選手がMORELIAを履いてくれているのか」を調査するために高校生の大会でデータを取ってみたのですが、「MORELIAを履いている選手はポジションに偏りがない」という特徴が見られました。

他のシューズだと、DFの選手に多く履かれているとか、FWの選手が良く履いているという傾向が出てくるのですが、MORELIAを履いている選手はどのポジションにも平均的に存在し、全体の平均値と比較してポジションの偏りがありませんでした。あらゆるポジションで必要とされるサッカーの基本動作、例えばトラップやパスなどのボールコントロール、90分間走り切る力といった部分を全て、高いレベルでサポートしてあげられるのがこのシューズの良い所で、だからこそポジションに偏りなく多くの選手に履いていただけているのはないかと考えています。

 

 【次ページ】28年間でのMORELIAの進化と変化

【インタビュー】女子サッカーの“すべて”を知る重鎮・INAC文弘宣会長

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(写真:文弘宣会長)

2年連続無敗でリーグ優勝を果たし、今なお無敗記録を更新し続けるINAC神戸レオネッサ。なでしこジャパンのメンバーを多数抱え、誰もが認める女子サッカー界の女王クラブだ。そんなINACの運営会社である、株式会社アスコホールディングス(神戸市)を率いるのが文弘宣会長である。ドイツ女子ワールドカップが開催された2011年、日テレ・ベレーザからプロ契約を打ち切られた澤や大野をチームに温かく迎え入れた。澤が「文会長がいなかったら、W杯の優勝はもっと遠いものだった」と語るほど、女子サッカー界にもたらした功績は計り知れない。

親しみやすい笑顔と軽快な語り口で選手やサッカー関係者を魅了する一方で、「経営者」としてのシビアな面も時折覗かせる。世界中を見ても決して成功事例は多くない「サッカービジネス」において、黒字経営に導いたその手腕とノウハウを明かしてくれた。

 

■「女子サッカー界を作り上げる」という覚悟 

-チームを立ち上げた経緯から教えてください。

文弘宣会長(以下、文):もともと男子チームを持つことが夢でした。人口5~10万位の地方都市に、下部組織も持った強いクラブを。そこにJ1クラブのスカウトを集めて、高く買ってもらうというビジネスを考えていました。Jクラブを持つほどの予算はなかったのでね。ところがまずメンバーが集まらなくて、断念しました。考えが甘かったですね。その後、周りの助言もあり、まず「女子からやろう」と始めたのがきっかけですね。

 

-以前会長は、もう男子チームを持つ気はないとおっしゃっていましたね。

文:とにかく、女子サッカー界を作り上げることに集中しなくてはいけません。ですので、同じように「女子サッカーを盛り上げたい」という有志がどんどんと増えていってくれることを切に願っています。特に、趣味程度のものとしてではなく「ビジネス」としてしっかりと考えることができる仲間が必要です。同じ方向に向かっていくために、他のクラブの代表と頻繁に連絡を取り合っていますよ。

 

■20億円は、あくまでもビジネスとしての「投資」

-会長は女子サッカーの発展に20億円近く使われたとのことですが、その情熱はどこから?

文:情熱だけでやっているわけではありません。ビジネスとして成立させるために使ったわけですから。なにも全てのお金を選手に使ったのではなく、主に施設へ投資したんです。その施設も採算がとれるものになっています。施設を作ってしまえば、選手はそこで質の高い練習ができますし、空いた時間はほかの方にレンタルすれば良いわけです。ビジネスとして成立することが、クラブが長続きするために非常に重要なことです。ポケットマネーじゃできないですよ。選手のお給料下げてはいけないですしね。

 

-Jリーグのクラブでも赤字になってしまうくらい、「サッカークラブ経営」は難しいものだと思いますが。

文:もちろん、「ビジネス」というものは同じことをやっても失敗する場合と成功する場合がありますが、失敗するのは何かしら原因があるんです。例えば、地元のスポンサーさんを集めることができないというのは、「地元密着」と口では言っていても、本当の意味で地元に密着して活動ができていない証拠だと思います。地元に貢献できるクラブであれば、自然と協力していただける方が集まってきてくれるはずですよ。

 

-会長は、サッカークラブ経営は「お金になる」とお考えですか?

文:実際、世界的に見ても採算が合っているクラブは少ないです。というより、ビジネスというのは全ての業界において成功しているのはごく一部です。だから、勝ち組にならなければならない。この業界でも、どこが戦略を持ってイニシアチブを執っていくかということですよ。

うちでいえば、澤のような観客を呼べる選手が移籍してきたことが大きかったんですが、他のチームでも彼女らを獲得することはできたわけですし、多少お金がきつくてもトップレベルの選手を大事にしていかないと、クラブの繁栄はありえません。

【次ページ】 なでしこリープロ化」の可能性 

【インタビュー】元日本代表岡田監督がアドバイザーを務めるバニーズ京都SC ・佐々木代表

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2006年に設立されたバニーズ京都SCは、なでしこチャレンジリーグ(2部相当)の中堅クラブ。前身の宝塚バニーズ時代は、元日本代表の野田朱美さん等セミプロ選手で構成されたクラブとして、まだ日の当らなかった女子サッカー界の注目の的でもあった。しかしながら、“良い時”は長くは続かず、運営会社が撤退し、その後は市民クラブとして活動を続けた。そんなバニーズに手を差し伸べたのが総合教育サービス企業グループ「成基コミュニティグループ」の佐々木喜一代表だった。万全の経営母体に支えられながら、顧問アドバイザーに迎えた元日本代表岡田武史監督の強力なバックアップの下、バニーズ京都は1部昇格を目指す。

■セミプロ、市民クラブを経て

-京都バニーSCができた経緯を教えて下さい。

佐々木喜一代表(以下、佐々木):もともと、企業チーム「宝塚バニーズ」がありました。ですが、クラブ経営が難しくなり、2000年には完全な市民クラブとなりました。監督自らがレンタカーを借り、夜中に運転をして試合会場に行き、仮眠を取って試合に臨むといったような状況で頑張っていたみたいですが、限界だったようです。そんなバニーズを京都府サッカー協会が受け入れることになりました。そして、「バニーズ京都SC」が誕生しました。京都のチームとして再出発をしたものの、ちゃんとしたスポンサーがなかったため、私が力になろうと思い、成基コミュニティグループとしてスポンサーになりました。それが06年です。

 

■岡田監督との友情、そして中国リーグ挑戦の経緯

-2011年より元日本代表監督の岡田氏(現・杭州緑城監督)がアドバイザーに就かれています。その経緯とは?

佐々木:私がオファーしたら快く引き受けてくれました。「友情」ですね(笑)。

 

-もともとお知り合いだったんですか?

佐々木:いや、南アフリカW杯の直前にイベントを通して知り合いました。その頃日本代表がボロ負けしていましたよね。(対セルビア0-3、対韓国0-2)。「岡田辞めろ」と世間の風当たりがすごかった。しかし、南アでベスト16入りすると、マスコミなどは彼の手腕をこぞって賞賛しましたよね。その対応の変化に呆れたのでしょう。しかし、W杯前後で私の付き合い方は変わらなかったからか、信頼してくれましたね。

 

-それからの付き合いなんですね。

佐々木:岡田さんは、2度もW杯の代表監督をやったということで、サッカーとは全く違うことにチャレンジしようとしていました。特に自然環境や教育というものに非常に興味を持たれていて、「どのようにすれば人はブレイクスルーするのだろう」と考えていたようです。ちょうどその頃に、当社が開催している小学6年生対象の「夏合宿」に岡田さんが来てくれたんです。その合宿での生徒の変化を見て、「その道にはその道のプロがいる。50歳を超えて新しいことやろうと思っても、その道のプロには勝てない」と思い、「自分にはサッカーしかない。サッカー界に戻ろう」と考え直したそうです。ただし、彼自身の中には「新しい挑戦」というキーワードがあったため、海外で活躍する日本人監督はほとんどいないということで、中国リーグでの監督に就任したというわけです。

 

-アドバイザーとして、岡田監督にどのようなことを期待していますか?

佐々木:なにより、彼が培ってきた経験をチームに還元してほしいですね。バニーズ京都SCは「日本一のサッカークラブ」を目指しているので、日本一の岡田監督には長いスパンで協力していただこうと思います。

 

■「日本に帰れない」覚悟を持ってW杯に挑んだ岡田監督

-ちなみに、岡田監督はどんな方ですか?

佐々木:話していると、「さすが日本を代表する人だ」と思います。目指している目標も高く、それを達成するプロセスも緻密で、しっかりと段階を踏んでいる。なにより、あの状況で孤独に耐える器を持っていらっしゃった。「W杯の結果次第では日本に帰れない」という覚悟を持って臨み、そして結果を出した。そういう「リーダのあり方」においても、尊敬できます。

 

-将来、岡田監督にバニーズの指揮官になってほしいですか?

佐々木:それは、そうですね。ただし「ボランティアでもいいよ」と言ってくれたらね(笑)。彼のような素晴らしい監督へのオファーとなると、金銭的にはとても現実的ではないですから。でも、中国でやっている時も、「自分の給料上げるぐらいなら、選手に費やしてくれ」と言ったぐらい、お金より目的や使命を大事にする人です。まさに「サムライ」ですね。

【次ページ】今季、大量14名を補強した理由


Jクラブの練習生は、なぜ得点しても契約できないのか?

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Jリーグクラブのトレーニングを見学していると、見覚えのない顔をよく見かける。

練習生がいるのだ。

続けて何日か見ていると、なかなか気になってくるものである。特に私の場合は—。

一番の注目は公式戦の翌日などに行われるトレーニングマッチ。前日の公式戦で多くの出場時間を得た選手は、リカバリーでランニングなどをしているが、出場機会が少なかった選手やなかった選手は、ここで試合勘を養う。最近の対戦相手は、大学生や地域リーグクラブが多いと感じる。練習生はこのトレーニングマッチに出場する。

そこで活躍を見せる練習生は意外と多い。前線の選手でいえば、少ない出場でもゴールする選手がよくいるものだ。しかし、それでも契約に至らないケースも多い。

クラブ関係者は一体どういったところを見ているのだろうか?多くの方から話を聞くと、ほとんどのクラブで共通している答えがある。

それは「武器」である。

「ドリブルやトラップが巧く、ある程度スピードがあって、ある程度は高さもある選手」よりも、「ドリブルもトラップも下手で、加えてスピードもないが、”ヘディングは誰にも負けない”選手」のほうが契約に至りやすいという。

万能であっても、プロリーグで活躍するには「何かひとつ」がなければ厳しいということ。そう考えれば、トレーニングマッチでの活躍だけで、評価されることはないのだろう。

プロへの近道は、「自分の武器を伸ばすこと」なのかもしれない。

かつてJクラブの練習に参加したものの、結果的にプロになることが叶わなかった私がプレスとして客観的に分析してしまうのは、グラウンドで奮闘する練習生を、勝手ながら応援しているからなのかもしれない。

 

 

【金谷元気】twitter:galaxyceo

1984年生まれ。好きなリーグは、J2と地域リーグ。

過去の関連コラムは以下。

セレッソの8番は、この男が背負うことをずっと夢見てた

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【コラム】日本のコンフェデ躍進に潜む落とし穴

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(画像:Facebook より)

2大会ぶりに日本が、コンフェデレーションズカップに挑む。初戦はホスト国のブラジルとあって、国内では一段と盛り上がりをみせている。

■予想外の健闘を見せたドイツ大会のジーコジャパン

日本がコンフェデに出場するための条件は、アジアカップ優勝。2004年のアジア杯で、ジーコジャパンはホスト国の中国を3-1で倒し、晴れて日本はコンフェデ出場権を獲得したのだが、この大会を問題なく制覇できる力がその当時の代表にあったかというと「NO」という意見は多い。

もともとジーコジャパンは、戦術がなく中村俊輔や中田英寿といった「個」の力に頼って戦っていた。得点もセットプレーからが多く、あくまでもアジアレベルだった。

しかしながら、迎えた翌年のコンフェデで、日本は予想外の健闘をみせる。このドイツ大会では、ギリシャ・メキシコ・ブラジルと全て格上の相手と対戦した。2004年のユーロ覇者だったギリシャを1-0で下し、勢いに乗った第3戦は、勝ち点3で並んだブラジル。勝ったほうが決勝トーナメントに進めるという直接対決で、2-2で引き分けた。中村俊のロングシュートが未だに印象深い人も多いだろう。

特に、1-2と離されてからの日本の攻撃はそれまでのベストパフォーマンスだった。日本との得失点差で、ギリギリ決勝トーナメントに進出し、そのままコンフェデを制したブラジルが、「日本が一番手強かった」と大会を振り返った。前線にアドリアーノ・ロビーニョ・カカ・ロナウジーニョとスター軍団を揃えた相手に、あと一歩のところまで迫ったのだから、日本中が湧き、W杯本戦でのベスト16進出も期待されたのだが・・・。

■ジーコジャパン、W杯惨敗の一因

結果は、1分け2敗の惨敗。何もできなかったというのが、正直な印象だ。

その原因の1つは、「慢心」ではないだろうか。

コンフェデの好成績によって「世界にも通用する」という自信をつけてしまったがために、ジーコ元監督は、FWの巻誠一郎と佐藤寿人を最後まで試したぐらいで、ほとんど新戦力を招集することを怠った。(巻は最終的にW杯メンバー入りしたが)

ザッケローニ監督は、メンバー選考にチャレンジをしない。いかにもイタリア人監督らしく「勝ちにこだわる」という特徴が表れている。

実際、アジア杯で優勝した2年前のスタメンとW杯出場を決めたオーストラリア戦のスタメンの顔ぶれは、何一つ変わらない。(決勝戦は、香川が負傷で決勝戦には出場せず)

【次ページ】ザックジャパンのスタイル「固定メンバー」の落とし穴

国立最後の早慶戦を盛り上げる美女たち

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早稲田大学を盛り上げるなうガール
(写真:早稲田大学を盛り上げるサポーター)

早慶サッカー定期戦が6月29日、国立競技場で行われ、3-0で早稲田大が勝利した。国立競技場が来年から改修工事に入るため、国立競技場で開催される最後の早慶戦になった会場周辺には、多くの美女たちが試合に花を添えた。

慶応グッズを販売するなうガール
(写真:慶応グッズを販売するサポーター)

 

 

後日ファッションショー早慶戦に出場するなうガール
(写真:後日ファッションショー早慶戦に出場するサポーター)

 

 


(写真:後日ファッションショー早慶戦に出場するサポーター)

 

 

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【コラム】なぜ今、2ステージ制導入なのか

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突如、降って湧いた「2ステージ制の導入」。Jリーグのサポーターからは、強く反対の声が上がっている。JFAハウス前ではサポーターが横断幕を掲げ、Jリーグ事務局に検討中止を訴えた。

なぜ、今この制度の再導入が検討され始めたのだろうか。

 

それは、単純に観客動員数の減少にある。2008年の5,875,865人をピークに年々下降しており、(11年は震災の影響で、05以降最低)そのことによって、クラブ単位でもJリーグ全体でも収益が減ったからだ。事実、赤字経営が続いているクラブも多い。

復活が議論されているこの制度は、2ステージに分けて試合を行い、観客動員数の増加の起爆剤として期待されているものだ。つまり、「話題作り」である。しかしながら、実際に2ステージ制で試合を行っていた04年までのほうが、観客動員数は05年以降と比べ少ない。

 

あえて観客動員数が少なかった2ステージ時代に戻そうとする動きは、一見矛盾にも思えるのだが、その背景にはリーグ戦にはないお金の動きがある。

1つ目は、一発勝負の頂上決定戦のチケット収入。一年間を通して戦ってきたクラブの王者を決める戦いは、普段以上に盛り上がるのは必至で、スタジアムを満員にする可能性も大きい。

もう1つは、テレビの放映権。リーグ戦はほとんどが、BSチャンネルなど衛星放送によって放送されている。しかしながら、チャンピオンシップともなると地上波で放送されることが予想され、より高額で放映権をTV局に購入してもらえる。

また、地上波で放送されるため、新たなスポンサーも付きやすく、その収入も期待できるのだ。その額は、1億円とも言われている。

収益以外のメリットでは、現在の半分の試合数で1ステージの優勝が決まるため、勝ち点差があまり広がらず、ステージ終盤までどのクラブにも優勝の可能性が残りやすい。また、1ステージで下位に沈んだチームが、中断期間を経て切り替え、2ステージで躍進し、リーグを活性化することもあるだろう。

2ステージ制にすることで、シーズンのスタートを2月に移行することになり、Jチームが弱いとされるACL(2月開幕)をJリーグの真っただ中で戦うことができ、コンディション万全で選手がACLに臨むことができるメリットも出てくる。

 

では、2ステージ制のデメリットとはなにか。

まず、1ステージだけではホーム&アウェイにならないため、公平性を欠くことになる。また、1シーズン通しての安定したチーム作りが出来なくなる要素もある。チャンピオンシップ出場を第一目的に、「1ステージだけに注力して、もう1ステージは捨てる」チームも出てくるかもしれない。

磐田(02年)や横浜FM(03年)のように、ファーストとセカンドステージの両方で同じクラブが優勝すると、チャンピオンシップの開催はない。また、両ステージを通じて、総合の勝ち点が1番多かった浦和(04年)が優勝できないというなんとも歯がゆい状況が起きた。

そもそも、その問題があったからこそ05年から廃止になったのではないだろうか。

 

現在、2ステージ制は南米などの一部では導入されているが、世界のトレンドとは逆行することになる。Jリーグは誕生から20周年を迎え、より一層世界レベルを目指していかなければならないにもかかわらず、世界基準から外れることに意味があるのか。

 

実際、2ステージ制に1シーズントライすることで、従来のリーグ戦に“刺激”をもたらすことができ、もの珍しさで観客が増えるかもしれない。だが、それが劇薬となりうるのだろうか。

あくまでもこの制度はいったん廃止したものであって、その可能性は低いはずだ。

 

2ステージ制は、サポーターからの反対意見も多く、来季導入は見送られた。

本当に考えるべきは、「どのようにしてサポーターに会場に足を運んでもらうか」ではないか。スポンサー料ももちろん大事ではあるが、それを優先して結果サポーターの心が離れてしまったら・・・。

結末は、予想できるものになるだろう。

 

(文:谷口 こういち)

 

【コラム】完全復帰間近の日本女子界の至宝・京川舞

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(写真:ボールを蹴り始めた頃の京川舞)

さかのぼること2012年5月13日、なでしこリーグの得点ランキングを独走していたINAC神戸の大型新人が、ノエビアスタジアムのピッチ上に倒れ込んだ。

本人は「膝に何かが引っ掛かったような感覚」だったようで、痛みもほとんどなく、選手生命に関わるほどの怪我だとは想像もしていなかった。チームドクターの所見も全治3~4週間だったものの、実際の診断結果は前十字靱帯(じんたい)断裂、内側副靱帯損傷、内側半月板損傷で全治六ヶ月。つまり、ヒザが「グシャグシャ」の状態になっていた。予想外の重症に、診断結果を聞いた瞬間、京川舞の瞳には大量の涙があふれていた。

 

それから、1年と3ヶ月。長いリハビリと別メニューの期間を乗り越え、京川は七月上旬に全体練習に参加した。復帰当日に再度大けがを負った怖さを感じながらも、楽しそうにピッチを駆け回る。キレのあるターンや裏をとる動きは健在だ。

INACの文弘宣会長も「将来なでしこを背負って立つ選手になるために、慌てないで育てていくつもり」と万全のバックアップを約束する。

「張り切り過ぎてはいけないよ」と声をかけると、「もう大丈夫ですよ!」と元気な笑顔を見せる19歳は、間違いなく日本女子サッカー界の宝である。

 

左ひざの診断結果が言い渡された瞬間、本人はもちろんのこと、ファンや関係者の頭をよぎったのは、「ロンドン五輪」。絶望的だった。

それだけではない。日本で開催されたU-20W杯も同様だ。「ヤングなでしこブーム」が日本中を席巻したが、ロンドン五輪のメンバー選考から漏れてしまったとしても、彼女はヤンなでブームの中心にいるべき存在だった。

京川自身も「私がチームを引っ張っていく」と内なる闘志を燃やしていただけに、U-20W杯に出場できなかったことは、五輪断念以上に辛かったようだ。

 

同世代には、両足FKゴールで一躍有名になったINAC神戸のMF田中陽子や独特のドリブルで沸かせた日テレ・ベレーザのFW田中美南がいる。だが、京川はこの2選手と比べても抜きん出たプレーヤーだ。

U―17W杯トリニダード・トバゴ大会では背番号10を着け、怪我を抱えながら決勝の韓国戦にもスタメンで出場。決勝戦で得点を奪うことはできなかったものの、日本の準優勝に大きく貢献した。(3―3、PK・4―5)。

「U―17W杯の経験と悔しさが大きかった」と自身が振り返るように、その後の彼女の活躍はめざましかった。常盤木高校の3年として挑んだチャレンジリーグEAST(2部相当)の2011シーズン、15試合で24得点を挙げ、リーグ得点王に輝いた。その年のU―19(19歳以下)女子アジア選手権では、日本優勝の立役者になり、大会得点王と最優秀選手に選出された。

 

高校卒業後、鳴り物入りでINAC神戸に加入。ドイツW杯のなでしこメンバーが7名もスタメンに名を連ねる強豪チームとあって、周りからは出場機会を心配する声も挙がったが、杞憂に過ぎなかった。

周りのメンバーを見渡せば、偉大な先輩ばかり。「自分からボールを要求できなかった」と本人もかなり最初は委縮していたようだったが、練習ではバンバンと彼女にパスが通っていた。本人が要求せずとも自然とパスを出してしまうほど、ポジショニングが「最高」なのだ。顔を出してほしいところに、スッと入ってくる。その点をクラブも一番に評価し、獲得に動いたという。

そうして、なでしこリーグの開幕スタメンを勝ち取った京川。星川監督(当時)の期待通り、いきなり2ゴールの活躍を見せた。INACの新エースとして、その後も4試合で5得点とゴールを積み重ね、「得点ランク独走」も期待させ始めていた。

全治6ヶ月の重傷を負ってしまったのは、そんな順風満帆な時だった。。。

 

【次ページ】復帰当日の負傷、2度目の手術へ

「未来のレアル・マドリードでのプレーを目指して」 レアル・マドリードチャレンジキャンプin大阪

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レアル・マドリードチャレンジキャンプin大阪会場
写真:レアル・マドリードチャレンジキャンプin大阪 集合写真)

8月12日~15日の4日間、大阪府寝屋川市の摂南大学寝屋川キャンパス第1練習場にて、「レアル・マドリードファンデーション チャレンジキャンプ」が行われた。

当キャンプは「レアル・マドリードのカンテラ(トップ選手育成機関)に1人でも多くの日本人を入団させる」というコンセプトを標榜し、昨年度からスタートした。

今年度は7月27日~8月22日まで、北海道、青森、栃木、茨城、大阪、島根の全国6箇所で開催され、日本のユース世代の育成とスカウティングを目的としている。
コーチ陣には、元U‐8監督で、現在レアルマドリードCFプレベンハミン助監督を務めるヴィクトール・カルバハル・サンチェス。元U‐10、U‐11のカンテラーノ監督を務めた後、現在アジア地域を中心としたスカウティングを担当する、ハビエル・ガルシア・トーレスの2名が来日した。

4日間の練習の中で選抜された優秀選手は、トップチームから育成チームが練習するレアルマドリード専用練習場「バルデベバス」にて来春開催される「チャレンジキャンプ in スペイン」へ参加が認められる。
なお、「チャレンジキャンプ in スペイン」で最も優秀だと認められた選手は、カンテラへの入団テストにコーチ推薦枠でチャレンジする機会を得ることができる。
昨年度は、当キャンプから入団者テストの合格者は表れなかったが、インテルナツィオナーレ・ミラノ、マンチェスターユナイテッドFC、AFCアヤックス、FCバルセロナ、レアル・マドリードCFなど
世界中のビッククラブが参加するMIC(U‐14地中海国際サッカートーナメント)に当キャンプを経て、2名の選手が出場した。

大阪会場では、6歳~13歳までの子供達が26名参加し、カンテラと同じ練習メニューをこなした。
14日夜には、大阪の指導者達を対象とした「指導者講習会」が開かれ、関西の指導者達とレアル・マドリードのスタッフが育成について意見交換を行った。
ヴィクトールは「各カテゴリーによって細かく育成方法が違いますが、とにかく子供達が楽しむことが1番大切。次に、どのトレーニングでもボールを扱った練習を必ず取り入れること。1つ1つの練習に制約と課題を与え、常に考えながらプレーする環境を与えてあげることが大切」と話した。

また、日本の子供達の技術に関しては「子供達の技術のレベルは、ヨーロッパのトップレベルと比べても遜色ないと思う。ただ、ユース世代では戦術練習が少いため、戦術理解度に乏しく、サッカーを良く理解していない傾向がある。練習から何度も繰り返し、なぜこの練習をするのかということを説明してあげることが不可欠です。ボールを持つエリア、持たないエリアの確認。ボールを持っている時だけではなく、持っていない時の動きもスペインでは徹底的に指導する。日本の子供達は、勤勉で技術も高い。普段の練習から、考えながらプレーすることを習慣づけることによって更なるレベルアップに繋がる」と、指導者達にメッセージを送った。

キャンプ終了後、今回最年長での参加となった谷脇三千輝(みつき)君(13歳)は、「チームでは年上とプレーする機会が多いんですが、今回最年長で、みんなを引っ張ろうと思った。コーチ達もその姿勢も評価してくれた。人間的な部分でも学ぶことも多かったです。」と話した。キャンプを受けた後の変化については、「特にファーストタッチの位置、ルックアップ、ボールを受ける場所での指導が多く、キャンプ終了後は視野が広くなり、自分のプレーに自信を持てるようになった。必ず選抜選手に選ばれ、スペイン遠征に参加したい。今回参加して良かった。」と、振り返った

なお、当キャンプは来年も開催予定とのこと。現在、バルセロナのカンテラでプレーする久保建英君も、元々はFCバルセロナキャンプからキャリアをスタートし、ソデクソ・ヨーロピアンカップでMVPを経てカンテラの入団を果たした。世界的なビッククラブがマーケットを日本のユース世代にも向けるようになった今、第2、第3の久保君が現れる日は、そう遠くないのかもしれない。

レアル・マドリードチャレンジキャンプin大阪会場
写真:コーチの説明を聞く選手)                                  

http://www.rmcamp-japan.org/
(取材・文・栗田シメイ)

 

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日本人初!!レアル・マドリード下部組織入団の中井卓大を支えた者達

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中井卓大くん
(写真:株式会社イープラスユー提供)

2013年9月28日。赤坂に拠点を置く、株式会社イープラスユーから歓喜の声が上がった。
『中井卓大(9歳)が、レアル・マドリードのカンテラ(アルビンB)への入団テストに合格』
という吉報がスペインから届いた。「レアルのカンテラに日本人選手の入団させたい」
という想いで事業スタートから2年。社員全員が、この瞬間を待ちわびていた。
110年を超える歴史を持つレアルが誇る専用練習場「バルデベバス」に”日本人選手”として
初めて足を踏み入れるまで、あと数日に迫った。

 

イープラスユーの社員、高橋尚輔は今回の快挙をこう分析する。
「正しい環境で、1つずつステップをクリアしていった。今まで通ってきた”正しい道”が今回の入団に繋がったと思います」
外国人をカンテラの入団テストに招聘することはまずしないという。中井のレアルが入団が実現したのは、イープラスユーの多大なるサポートがあった。

 

イープラスユーは、2011年にヨーロッパ有名クラブの育成機関を目指す選手をサポートする目的で設立された。
CEサバデルで、リーガエスパニョーラ初の日本人オーナー兼代表を務める同社代表坂本圭介が独自のネットワークを駆使し、
スペイン1部、2部に所属するクラブと関係を構築。中井のテスト合格の第一歩目となった「レアル・マドリード・ファンデーションチャレンジキャンプ2012」での日本開催、現役のカンテラ関係者のコーチ招聘も「日本人の子供達に正しい道を提供し、可能性を広げてあげたい」と奔走し、同社が設立前から地道に作り上げてきたネットワークの賜物と言える。

 

入団に相当する実力を持ちながら、海外のクラブの下部組織への入団が叶わないケースは少なくない。
慣れない異国の地で、子供達が厳しい競争を何年も続けることは困難で、クラブ側も責任を負うことが難しい。
今回特例で、中井の入団招聘テストが実現したのは、『イープラスユーがレアルに様々なサポートを約束し、日本人をスペインで育てるインフラをサバデルに保有し、かつ実践している実績があること』も決め手の1つとなった。

 

 

【次ページ】チャレンジキャンプinスペインで「特別な子供」と評価を受ける


【コラム】Jリーグクラブの言論統制を考える

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jlea342

 

Jリーグは1993年に開幕して20年がたった。これほどのスピードで成長していくプロリーグは世界的にみても珍しいだろう。

成長するには変化に対応することが重要だ。変化することによってJリーグは成長してきた。

しかし今のJリーグの『変化』は、原点回帰と称された2ステージ制復活など安全策ばかりで、リスクをとったチャレンジがないように思う。

その中でも特筆すべきは、クラブのメディアに対する言論統制だ。そしてそれに応じる我々メディアにも問題があるだろう。

どのクラブが、どのメディアが、という批判はしない。しかし、この問題は日本中のあちこちにあるのだ。

 

真実を書かせないクラブの姿勢

Jリーグクラブは、許可を得て練習を取材しても、記事の内容をチェックして「ここは載せないでください」と、ネガティブな部分やデリケートな部分に関してカットを求める場合が多い。(そうでないクラブもある)

このような『真実を書かせない』クラブの姿勢には大きな疑問を感じる。

それに対して記者は「クラブのマイナスになるといけないので、ネガティブなことは書かないでおこう」という思いになる。ほとんどが番記者としてクラブを担当しているため、記者自身そのクラブに対して愛着が湧いているのだ。これが『メディアが甘い』という部分だろう。

しかし、ネガティブな内容だったとしても、そのまま訂正せずに掲載することも勿論ある。(それこそがメディアの真の姿だと思う)

その場合の多くは、クラブの広報担当者から電話がかかってきて「あの記事は訂正(もしくは削除)してください」と伝えられる。

 

なぜネガティブな内容を書かせないのか

ではなぜ、ここまで報道を規制するのだろうか。ひとつは選手のモチベーションを心配してのことだろう。

そして何より、Jリーグクラブの資金のほとんどは、スポンサーとサポーターから生まれる。スポンサーが広告費を出し、サポーターが入場料やグッズ代を払ってクラブを支える。ネガティブな記事が出て離れられることがあれば、クラブにとって大問題だ。

地方の小さなJ2クラブでは、1つの主要スポンサーが離れるだけで経営が大きく揺らぐ。だからと言って、その可能性を過剰に恐れて情報を規制することは良いことなのだろうか。

Jリーグクラブは、どんなにネガティブな記事が出た場合でも離れないスポンサーやサポーターを増やす為に、魅力を創造していくことが重要だと感じる。

 

なぜメディアは批判できないか?

なぜ、このようなことを大手メディアは大きく報じないのか。

それは深い関係性にあるだろう。まるでファミリーのように仲が良いクラブ関係者と記者もいる。長い時間をかけてクラブやリーグと関係を築いてきたのに、批判することになれば出入禁止になる可能性だって大いにある。

各メディアを運営する人たちの周りには、社員がいて家族がいるのだ。Jリーグを取材できなくなれば大変なことになる。これは簡単な問題ではないといえる。

 

私たちが声をあげられる理由

私たちがなぜ批判できるかといえば、『そんなJリーグなら、取材しなくても良い』と考えているからだ。

今まで私たちはJリーグの数クラブから許可を得て取材を行ってきたが、ジュニアユース・ユース・高校・大学・地域リーグ・JFL・なでしこなど、すべてのカテゴリーを含めた日本サッカーと、東南アジアなどの海外クラブにわたって取材を行っているからこそ、声をあげられる。憶測ではなく、取材に及んで記事を書いてきたという誇りがあり、だから今回もここに真実を書くことができる。

 

では何のために声をあげるのか。

ただ単に批判や提言をしたいのではなく、そこには「考えるきっかけになれば」という強い思いがある。

大好きなJリーグのこれからのさらなる発展を願い、もう一度聞きたい。

「Jリーグ、そのままでいいんですか?」

 

(文・肴梨杏里)

 

 

【コラム】鳥取と京産大2チームの残留争いの渦中にいる安藤由翔

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京都産業大学MF安藤由翔
写真:京都産業大学MF安藤由翔)

11月2日にキンチョウスタジアムで行われた、関西学生サッカーリーグ後期第7節関西大学vs京都産業大学の試合終了後、京産大MF安藤由翔に現在の心境について話を聞くと、「ガイナーレ鳥取の試合結果はしっかりとチェックしています。いろんな可能性があるので」と声小さく返ってきた。現在安藤は、2チームの残留を気にかけなければならない状況に追い込まれている。

安藤は京都産業大学サッカー部の一員として活躍する。また来季より新加入が内定しているガイナーレ鳥取では特別指定選手として、出場が認められている。J2第23節の東京ヴェルディ戦でデビューして以降安藤は、J初得点を決めるなど、鳥取の主力になろうとしていた。しかし安藤には主戦場である京都産業大学があるため、夏が過ぎると鳥取を離れなければならなかった。

鳥取は現在J2で最下位のため、このままいくとJ3への自動降格、もしくはJFLクラブとの入れ替え戦に進んでしまう可能性がある。勝ち星から遠ざかる鳥取は、最下位からの脱出を目指し、安藤をもう一度チームに合流させようと京産大に話を持ちかけた。その結果、10月20日の学生リーグ桃山学院大学戦の結果次第では、再合流を認めるということになった。安藤はもう一度鳥取に戻るために、必死で桃山学院大との試合に挑み、自身も2ゴールを奪う活躍を見せたが、チームは3失点し、敗戦を喫した。京都産業大学はこの敗戦を受け、関西学生サッカーリーグ1部残留争いに加わることになってしまった。

京都産業大学と鳥取、2チームの残留争いの渦中に安藤は身を置くことになる。そして安藤は苦渋の決断のうえ、京都産業大学に残ることを選んだ。その後の試合で安藤の動きはますますキレを増している。11月2日の関西大学戦では、格上の相手に向かってひるむことなく、自身のストロングポイントであるドリブルで何度も相手DFを脅かし、チャンスに結びつけている。この動きに対して本人も「自分がやらないといけないのはわかっている。次につながる動きをしていかなければ」と語っている。

安藤の今の第一目標は京産大の一部残留である。しかし鳥取の動向についても本人はチェックを欠かさない、「鳥取の前田監督から連絡は定期的にもらっていて、現在のチーム状況とか、チームの方向性はしっかり聞いています」と語った。今自分がしなければいけないことを見極めるためでもある。安藤は京産大に残っていても、鳥取のチームについてもしっかり考え、いざチームに合流したときに、すぐに馴染めるように準備を整えている。

安藤は鳥取と京産大、両チームの残留を手に入れることができるのか。京都産業大学は安藤の活躍が残留の鍵になるだろう。鳥取は安藤を来季J2でプレーさせることができるのか。

 

(文:澤田ゆうき)

 

関連記事:【インタビュー】京産大と鳥取で活躍するMF安藤由翔「泥臭くチームに貢献したい」

 

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【コラム】 レヴィー・クルピによろしく

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ホーム最終戦でゴールを決める。
どんなスーパーゴールより
スーパーだと思う。

C大阪のホーム最終戦が行われる長居スタジアムの最寄り駅『大阪市営地下鉄・長居駅』。その駅を通る、御堂筋線の車両にある中吊り広告だ。

そのゴールは、たしかにどんなスーパーゴールより、スーパーだ。なぜならC大阪のホーム最終戦は、いつも特別な意味がある。

2005シーズンは、勝利すればJ1で優勝できるゲームだった。西澤明訓の2ゴールでF東京に2-1でリードしたまま迎えた89分。今野泰幸にゴールを許し、優勝を逃した。

優勝争いをした翌年の2006シーズンは、ファビーニョの穴が埋まらず不安定な戦いを繰り返し、世界陸上の影響によって長居第2で開催された最終戦で川崎に敗戦し、J2降格となった。

そして2008シーズンは、森島寛晃が現役引退。ホーム最終戦では89分に香川に変わって森島が出場。試合後には森島が着ていた8番のユニホームを香川に着せるなど、エース番号が初めて渡った瞬間だった。

続く2009シーズンは、西澤明訓の最後の出場試合となった。終了後にはセレモニーも開催された。

ACLにも出場した2011シーズンは、レヴィー・クルピ監督の退任セレモニーがあった。(2012シーズン途中に再び監督復帰)

また2012シーズンは、残留が決まらずに迎えたホーム最終戦で、横山知伸が古巣・川崎から2得点。2点目は劇的な後半アディショナルタイムの同点弾で、自力残留を決めた。

そして昨日、今シーズンのホーム最終戦を前に、レヴィー・クルピ監督の退任が正式に発表された。

この中吊り広告にある『スーパー』は、さらなる意味を持つこととなった。期待されるのは勿論、背番号8だ。

レヴィーは2009シーズンに、遅刻を繰り返した柿谷に激怒し、徳島へ移籍させた。柿谷は徳島で多くを学び、2012シーズンに大阪に帰ってきたが、その時には既にレヴィーの姿はなかった。

しかし2012シーズンの中盤まで苦しんだC大阪は、シーズン途中にまたまたレヴィーを呼び戻す。その最初の試合である、新潟戦で1-0で勝利。ゴールを決めたのは柿谷だった。

レヴィーは試合後の会見で「特別な思いがある。ゴールの瞬間、思いがよぎった。彼がプロ2年目のときに私が監督に就任した。かわいい息子だ。 それが故に過ちを犯したときには、正しい道に導いた。今日は一皮むけて成長したプレーをみせてくれた。」と話した。

そして、今シーズンより8番を背負った柿谷は、Jリーグでゴールを量産し、チームを優勝争いに加わらせる。柿谷自身は、日本代表で主力となった。2012シーズンの序盤はC大阪でもベンチを温めた柿谷が、1年でまた大きな成長を遂げたのだ。

 

30日に行われるホーム最終戦は、5位の鹿島と対戦する。4位のC大阪にとっては、優勝への望みをつなげる為にも、ACLの出場圏内の3位に入る為にも、絶対負けられない戦いとなる。

その試合で”かわいい息子”がゴールを決めたのなら、レヴィーはまた陽気に、クリチーバで経営する日本料理店を紹介するのかもしれない。

 

(文・金谷元気)

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【コラム】特別指定制度は個人の成長の裏に大きな代償が

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阪南大学イレブン
写真:阪南大学イレブン)

日本サッカー協会がユース世代のサッカー選手に対して、所属クラブ・連盟の枠を超えて高いレベルでのプレー機会を与える特別指定選手制度。昨年の関西学生サッカーリーグ覇者・阪南大学はこの制度に今シーズン苦しまされた。

阪南大サッカー部は今年の夏、FW工藤光輝(コンサドーレ札幌)、FW泉澤仁(大宮アルディージャ)、MF可児壮隆(川崎フロンターレ)、DF二見宏志(ベガルタ仙台)の計4選手を特別指定選手として、Jリーグの各クラブに送り込んだ。
夏が終わり、4選手はJリーグから大学に戻ってきた。選手たちはJリーグでの試合や練習を経験し、大きく成長して戻ってきたが、コンデションは最悪だった。
工藤は、関西より比較的に涼しい札幌の気候で夏を過ごしたことにより、大阪に戻ると暑さに対応できず、苦しんだ。また他の選手も体力が少し落ちた状態でチームに合流し、ケガに悩まされる選手も出た。阪南大を率いる須佐監督はこの状況に悩まされていた。チーム作りを行う時間が少なく、チームのバランスが崩れていた。

元々選手育成のために作られた制度ではあるが、1チームから多くの選手が抜けることによって、主力選手がいない状態で、リーグ戦や公式戦を戦わなければいけないチームが出てくる。学生生活の中のスポーツという枠を超えているとして、この制度を利用しない大学や高校も実際に出ている。選手に対して早い段階でオファーなどがあっても、学生サッカーを引退するまで選手への接触を禁止にしている学校もある。

選手たちは特別指定選手としてJリーグのクラブに加入し、その後所属チームに戻った際に「レベルの違いを感じた」と口を揃える。特別指定選手を経験し、その際にプロのリズムを体感した選手が次の年に、Jリーグのクラブで即戦力として活躍するケースは多い。高校や大学といった学生サッカーから、特別指定選手を経験せずにJリーグのクラブに加入した選手は、練習やオフなど、周りの生活習慣になれるまでかなり時間がかかるケースもあり、特別指定選手制度がいい方向に働く部分もある。

来年以降も多くの選手が特別指定選手として、Jリーグのクラブへ加入することが予想されるが、大学や高校の監督はオファーが届いた際に頭を悩まされることになるかもしれない。

(文・澤田ゆうき)

 

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写真:株式会社イミオ提供
(画像:株式会社イミオ提供

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作成したデザインは、TwitterやFacebook、メールなどで簡単に共有できるため、チームメイトとの相談が可能。

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