ブラジル・セリエAのアヴァイFCで育成コーチを務める、平安山良太氏が12月2日に日本に一時帰国した。平安山氏はJリーグの名古屋グランパスで育成アシスタントコーチを務めたあと、カンボジアのカンボジアンタイガーFCやラオス代表で研修を受けブラジルに渡った。「もっと沖縄県でサッカーを普及させたい」とブラジルに渡った理由を平安山氏は話してくれた。帰国した平安山氏へのインタビューを3週に渡って紹介していく。
-ブラジルには沖縄県出身の日本人が多く存在していますが、それは知っていた?
平安山氏:県人会と言って、ブラジルに渡った日本人が出身地別に作っているコミュニティがあります。国際交流などが行なわれ、交換留学生なども多いです。それはブラジルに渡ってから知りました。しかも、沖縄県人会が1番多いと思います。
-言葉などでの苦労はなかった?
平安山氏:ポルトガル語はブラジルに渡ってから勉強しました。最初の1ヶ月はわからないことが多かったが、1ヶ月半ぐらいで意思疎通ができるようになりました。ブラジルの国民性か言葉がわからない僕に、めちゃくちゃ話しかけてきて、最初は両手を左右に広げてわからないとジェスチャーしていました。練習メニューを伝える際に、細かな部分が伝わらないこともありますが、1部リーグはやる気がある 選手ばかりなので、頭を使ってくれる。それはやりやすかったです。
-ブラジル人は日本のサッカーをどう見ている?
平安山氏:「日本人はサッカーを知っているの?」ぐらいの環境がブラジルではありますが、僕は仲間に恵まれていたこともあり、見下されることはなかったです。周りのブラジル人に日本代表の話しを聞くと、 「20年前だったら5点は取れたね。今は3~4点とまだまだブラジルでは格下に見られています。
-沖縄ではプロというカテゴリーがまだまだ普及していない?
平安山氏:スポーツをすることは、本土と変わらないぐらいのレベルで行っていますが、お金を払って見に行く習慣はまだまだありません。FC琉球がJ3に昇格し、プロチームが誕生したが、まだまだその部分に関しては発展途上だと思います。本土ではJリーグ開幕、日韓W杯と、2度サッカー人気が急上昇することがありましたが、沖縄県にはその熱があまり伝わらなかった。これは大きいと思います。
−沖縄でサッカーを普及させるために平安山さんができることとは?
平安山氏:いずれ沖縄県でユースの大会を開催したいと思います。ブラジルの強豪クラブコリンチャンスの下部組織の選手は、2ヶ月に1度ぐらいのペースで海外などに遠征し経験を積んでいます。そんなクラブを沖縄県に招致して、大会に出場してほしいと考えています。
〜平安山良太プロフィール〜
小学生よりサッカーを始めるが、ケガにより早期挫折。
ブラジル一部リーグのアトレチコ・パラナエンセ→
(取材・文:澤田悠樹)