「失敗しても、立ち上がって何回チャレンジできるか。それが僕にとっての生きていく価値です。」声の主川匂久明は、サッカー留学生から選手としてのキャリアをスタートし、19歳から21歳までアルゼンチンでプロ選手として過ごした経歴を持つ。引退後は、2011年より首都ブエノスアイレスに移り住みアルゼンチン人女性と結婚。現在は1児の父として、日系の自動車メーカーの下請け会社の管理職として働いている。そんな川匂が見たアルゼンチンとは。選手時代の記憶を中心に話を聞いた。
-まず、南米諸国の中でアルゼンチンを選択された理由を教えて下さい。
川匂久明(以下、川匂):15歳の時、ブラジルの国際大会に参加しました。その頃から海外への想いが強くなりました。日本でプロになれなかった際、どうしてもサッカーを諦められなかったんです。それで海外に行こうと。アルゼンチンを選んだのは、私の中でマラドーナの存在が大きかったので。ブラジルにも何度か足を運びましたが、生活、人間、食事すべての面でアルゼンチンのほうが好きですね。
-留学生としてキャリアをスタートした上で難しかった部分はありますか?
川匂:チーム合流時、練習の11対11のミニゲームでさえ全く出場できなかったんです。最初にチャンスが与えられたのは、わずか5分。ポジションも今まで体験したことがない、サイドバックでした。理由はただ空いているポジションというだけ。そこから結果を出し、10分、20分と出場時間を伸ばしていくことからのスタートでした。試合に出ても、パスをもらえない。チームメイトの信頼を得る意味でも、練習から激しい競争がありましたね。
-プロとして過ごされた中で感じたアルゼンチンサッカーの印象は?
川匂:とにかくプレッシャーのスピードが早い。私はボランチでプレーしていましたが、次のプレーを考える時間がないんです。それに一度ミスをすると試合に使ってくれなくなります。そういう環境の下でプレーしていたので、自然とずる賢いプレー、
デイフェンスの読みが上手くなったと思います。リーグ全体を見ても、各カテゴリーのユース代表クラス経験者が2部や3部のチームにもゴロゴロいました。アルゼンチンのサッカーの歴史と奥深さを実感しましたね。
-国としてアルゼンチンの魅力はどういう部分に感じられていますか?
川匂:個人としての価値が、日本より重要視されます。それはサッカーでも同様かと。例えばメッシですが、彼はほとんどのプレーを左足で行いますよね。仮にメッシが日本で生まれていたなら、右足も使えと指導されていたはずです。アルゼンチンでは、選手の持つ長所や個性を伸ばす指導を行います。どちらが正しいかはさておき、評価される部分が全く違うというのは感じました。
-引退後、一時日本に戻られていましたが、再度アルゼンチンに移り住まれたのはなぜですか?
川匂:東日本大震災の後、人生の価値についていろいろと考えさせられました。私にとって、人生とはチャレンジです。チャレンジする際の環境として、自分が自分らしく生きていける場所はどこかと考えました。結果思い浮かんだのが、大好きなアルゼンチンのことでした。私にとっては、アルゼンチンのほうが人間らしく生きていける。夢を追うことができる。そう思いました。結局、身も心もアルゼンチンに惹かれてしまったんですね。笑
川匂久明:経歴集
矢板中央高等学校-CAウラカン(練習生)-CA・ベレス・サルスフィエルド(プロテスト生)-CA・セントラル・コルドバ(プロ契約)
この内容の書き下ろしが「南米と日本をつなぐ者達」(ギャラクシーブックスより6月頃出版予定)に収録されます。
(文・写真 栗田シメイ Twitter:@Simei0829)
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