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アルゼンチン奮闘記 小林徹、飯沼直樹のケース

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写真:小林徹さん)

都内の高校を卒業後、アルゼンチンに飛び出した小林徹は練習生を経て、20歳で念願であったプロ契約をCAヌエバ・チカゴと結んだ。しかし、小林がプロとして過ごせた時間はごくわずかであった。日本に一時帰国し、再びアルゼンチンに戻った際の空港で解雇を告げられる。この時生まれて人前で泣いたという小林は、人目をはばかる余裕もなく、溢れ出る涙をしばらく止めることができなかった。こうして、再び練習生としてアルゼンチンでプロを目指す日々が始まった。

小林と始めて会ったのは、少し肌寒さを感じる2013年4月のブエノスアイレスでのことだ。当時バラカス・セントラルの練習生として過ごしていた小林は、1か月後にトップチームに昇格できるか、否かのデリケートな時期に差し掛かったいた。

海外で活躍する選手の条件として、語学力と強固なメンタリティが挙げられるとすれば、小林は双方を兼ね備えていると言える。ある日、ブエノスアイレス市内にいた小林の前に、日本語を話しす夫婦が歩いていた。アルゼンチンに来たばかりで語学の問題に頭を悩ませていた小林は、見ず知らずの夫婦に「スペイン語を教えて下さい」と頼み込んだ。今では週5日間、その時の夫婦がスペイン語の教師となってくれている。

「自分で言うのは抵抗があるんですが、いろんな人からメンタルが強すぎると言われるんです。アルゼンチンに来てから、今まで辛い思い出しかないんですが、今は手応えしかない。自信もつきました。監督から良い評価も受けていると思います」

では、アルゼンチンでのプレー環境をどう捉えているのか。「芝が深く、走るスピードが出にくいです。自分はスピードで勝負するタイプの選手なので、芝に足をとられたり、ボールが止まってしまうので当初は苦労しました。ただそんな環境で練習するので、スピードやドリブルでは、代表クラスの選手にも負けないという自信がつきました。何より、日本にいた時よりサッカーを楽しめています」

自身で1ヶ月後に再びプロ契約を結べると思うか?と尋ねてみた。「現状では五分五分かと。ただ昔から、どんな形でも点は常にとってきました。ゴールが好きなんです。だからゴールという結果を出して、何としてもアルゼンチンでプロ選手という履歴書を手に入れて、ヨーロッパに行きたいんです。最終的にはJリーグでプレーできれば・・・そう思っています」

■経歴集
小林徹
アルヘンティノス・ジュニアーズ(練習生)⇒CAヌエバ・チカゴ(練習生→プロ契約)⇒バラカス・セントラル(練習生)

 

 【次ページ】安定した生活した生活を捨て、アルゼンチンに渡った飯沼直樹


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