今季はカンボジアリーグの強豪、ナーガ・ワールドFCの中盤を深澤仁博との日本人コンビで支えた伴和暁。大学時代に一度は諦めたサッカーの道での再挑戦を決意し、ヨーロッパでプロキャリアをスタート。その後、東南アジアに戦いの場を移した。昨年はワールドカップ予選で日本と対戦するなど大きな転機の年となった注目の新興国、カンボジアでの戦いに迫った。
-昨季からカンボジアリーグでプレーしていますが、その前はヨーロッパにいたのですよね。
ポーランドで1シーズン半ほどプレーしていました。最初はエストニアのクラブと契約をしたんですが、登録のミスでプレーすることができず。3ヶ月エストニアにいたあとで一週間ほどラトビアのチームに練習参加し、最終的にはポーランドのクラブでプレーすることになりました。
-ヨーロッパに挑戦したきっかけはどんなものでしたか?
実は、大学3年で一度サッカーをやめているんです。それまで21年間サッカーしかしてこなかったので、ちょっとサッカー以外の世界も見てみたいという気持ちがありました。それで、留学という形で中国に行くことに決めました。その頃、中国の経済が成長していて日本のGDPを超えるという時期だったんですが、あまりイメージがわかなかったの、実際に上海に行って見てみようと。結果的には、一度サッカーから離れたことで、よりサッカーの素晴らしさに気づくことができました。
-それで、改めてサッカーの世界に戻ったのですね?
はい。ちょうど中国に行く頃に2010年のワールドカップをテレビで見ていたんですが、それもひとつのきっかけでした。内田篤人選手(シャルケ04)や森本貴幸選手(ジェフユナイテッド千葉)など、対戦経験や選抜チームで一緒にプレーしたことのある顔なじみの選手たちがプレーしている姿を見て、うれしい反面、悔しい思いもありました。自分と彼らとの差はなんだろうと考えた時に、「自分はサッカーをやめた、彼らは続けた」ということを感じて変な気持ちになってしまって。中国に行っても煮え切らない思いが続いて、半年くらい経った時に「やっぱり、自分はサッカーをやりたいんじゃないか」と。その時23歳で、やるなら今しかないという思いでサッカーの世界に戻ることを決めました。
-具体的にはどのような行動に出たのですか?
トレーニングを重ねて体を戻して、まずは中国のいろんなチームに練習参加させてもらったんですが、なかなかチームは決まらず。もう少し視野を広げてみようと世界中のリーグのクラブにプロフィール動画と一緒にメールを送りました。アジアでは中国、香港、日本、タイ、ベトナム、カタール、UAEなど10カ国くらい、ヨーロッパでも可能性のありそうな10カ国くらいに送りました。クラブ数としては、200から300チームは送ったと思います。
-反応はどうでしたか?
20くらいのチームが返信をくれたんですけど、内容としてはほとんどが「トライアルは受け付けていません」、「来季の編成は終了しました」、「来年のこの時期に来てください」といったものでした。そのなかで、エストニアのクラブが興味を持ってくれて、練習参加できることになったんです。
-その結果、最終的にポーランドのクラブと契約に至ったのですね。ポーランドでは、どんなチームでプレーしたのですか?
試合に出なければ意味がないですし、ポーランドでは4部や5部で活躍して1部に引き抜かれることもけっこう頻繁にあるということで、まず4部のクラブの練習に参加しました。そのチームからオファーをもらって、そのまま契約することになりました。そのクラブは2部で戦っていたこともあるクラブだったので、スタジアムや練習場も整っていましたし、4部でも環境は恵まれていたと思います。レベルは一概には言えないですけど、日本の大学レベルよりは上なんじゃないかと感じました。体つきは明らかに日本人とは違って、バチバチ来る感じです。実際、試合にも出場することができていい経験になったと思います。